リドリー・スコット監督 ミシェル・ウィリアムズ主演の映画「ゲティ家の身代金」を試写会で観た。
1973年に起きた大富豪ポール・ゲティ三世の誘拐事件を元に映画化。
【満足度 評価】:★★★★☆(4.5)
面白かった!!
富豪の思考回路が理解できず、先が読めない展開が面白い。
世界中の金を握る富豪の金の使い方とその末路。
オイルショック真っただ中の1973年、ミケランジェロとマフィアとパパラッチが同居するローマを舞台に、「起こるべくして起きた」誘拐事件を描く。
目次
「ゲティ家の身代金」予告編 動画
(原題:All the Money in the World)
更新履歴・公開情報
・2018年5月14日 試写会にて鑑賞
・2018年5月28日 感想を掲載。
・2019年3月31日 WOWOWでの放送に合わせて加筆・修正。
現在、ネット配信、DVD共に販売中。
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キャスト&スタッフ
出演者
〇ミシェル・ウィリアムズ
…(「アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング」、「ヴェノム」、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」「フランス組曲」、「ブロークバック・マウンテン」、「マリリン 7日間の恋」、「OZ はじまりの戦い」など)
…(「アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング」、「ヴェノム」、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」「フランス組曲」、「ブロークバック・マウンテン」、「マリリン 7日間の恋」、「OZ はじまりの戦い」など)
〇マーク・ウォルバーグ
…(「マイル22」、「パトリオット・デイ」、「バーニング・オーシャン」、「ザ・ギャンブラー/熱い賭け」、「ザ・ファイター」、「ペイン&ゲイン 史上最低の一攫千金」、「裏切り者」、「極悪の流儀」など)
…(「マイル22」、「パトリオット・デイ」、「バーニング・オーシャン」、「ザ・ギャンブラー/熱い賭け」、「ザ・ファイター」、「ペイン&ゲイン 史上最低の一攫千金」、「裏切り者」、「極悪の流儀」など)
〇ロマン・デュリス
…(「パパは奮闘中!」、「彼は秘密の女ともだち」、「ニューヨークの巴里夫(パリジャン)」、「ロシアン・ドールズ」、「スパニッシュ・アパートメント」、「ロマン・デュリスの偶然の殺し屋」など)
…(「パパは奮闘中!」、「彼は秘密の女ともだち」、「ニューヨークの巴里夫(パリジャン)」、「ロシアン・ドールズ」、「スパニッシュ・アパートメント」、「ロマン・デュリスの偶然の殺し屋」など)
…(「荒野にて」など)
監督
〇リドリー・スコット
…(「エイリアン:コヴェナント」、「オデッセイ」、「ワールド・オブ・ライズ」、「キングダム・オブ・ヘブン」、「ブレードランナー」、ドラマシリーズ「グッド・ワイフ 彼女の評決」(製作総指揮)など)
…(「エイリアン:コヴェナント」、「オデッセイ」、「ワールド・オブ・ライズ」、「キングダム・オブ・ヘブン」、「ブレードランナー」、ドラマシリーズ「グッド・ワイフ 彼女の評決」(製作総指揮)など)
2017年製作 アメリカ映画
あらすじ
1973年のイタリアの首都 ローマ。
大富豪の孫 ポール・ゲティ・三世(チャーリー・プラマー)が誘拐される。
破格の身代金(現在の価値で約50億円)を要求された母・ゲイル(ミシェル・ウィリアムズ)は、富豪の義父ポール・ゲティ(クリストファー・プラマー)に身代金を用意して欲しいとお願いするが、あっさりと断られてしまう。
その代わり、ポール・ゲティは、身代金を使わずに孫を取り戻すために、犯人との交渉役として元CIA捜査官のフレッチャー(マーク・ウォルバーグ)をゲイルに紹介し、フレッチャーは犯人捜しを開始する…。
感想(ネタバレあり)
1973年のローマで、起こるべくした起きた富豪の孫の誘拐事件
これは、1973年にイタリアのローマで、大富豪 ジャン・ポール・ゲティの孫が誘拐された実話を映画化したものである。
このジャン・ポール・ゲティという人は、1940年代から中東で油田の開発をし、巨額の富を得て石油王として知られるようになる。
世界一の富豪に選ばれたこともある。
しかし、その一方で、よく言えば倹約家、悪く言えばケチとしても有名で、この映画では、そのケチな部分のジャン・ポール・ゲティが浮き彫りにされている。
この事件が起きた 1973年はオイルショックが起き、石油の価格が高騰した年である。
(参考:Wikipedia オイルショック)
ということは、石油王であるジャン・ポール・ゲティにとっては最高に利益が出ていた頃であるが、その反面、物価が高騰したことで、苦しい生活を強いられた人々から憎まれていたということでもある。
「私たちはトイレットペーパーも買えないような生活をしているのに、あいつは石油が高騰して笑いが止まらないなんて許せない!!」
そんな悲痛な憎しみの叫びが聞こえそうである。
だから、孫の誘拐が発覚した当初、真っ先に疑われたのは共産ゲリラだったのだ。
共産ゲリラにとって贅沢は敵だからだ。
しかし、ローマの共産ゲリラは、日頃から傲慢なジャン・ポール・ゲティを目の敵にしていたことを認めるが、誘拐には一切関与していないと分かる。
誘拐が起きたローマという町は、観光客にとっては素晴らしい建造物や美術品にあふれた美しい街である。
この映画の中でも、コロッセオやカラカラ浴場、システィーナ礼拝堂やトレビの泉などの名所が次から次へと登場し、さながら観光案内のVTRを観ているような気分にさえなってくる。
しかしその裏で、貧しい人たちの生活はその荘厳な美しさとはかけ離れたところにあった。
イタリアという国は、ローマ帝国やミケランジェロという世界で有数な美を生み出した国であると同時に、パパラッチやマフィアという下劣なものを生み出した国でもあるのだ。
この映画は、そのイタリアという国の「美と下劣の二面性」と、ゲティのような富裕層と、誘拐犯たちの貧困層の間にある絶対的な格差が見事にマッチし、その背景には1973年の社会事情が絡みあって、「起こるべくした起きた誘拐事件」であることを炙り出しているのだ。
それは画面の隅から隅まで、全てにおいて素晴らしく見事な作品だった。

予測不能で理解不能!富豪の思考回路
この映画の面白さは「先が読めないスリリングな展開」にある。
では、なぜ先の展開が読めないのか。
それは、大富豪「ジャン・ポール・ゲティの思考」が私たち庶民からしたら全く理解できないからである。
もしも「あなたの孫が誘拐されました。お金がないので助けてください」と言われたら、誰だって、かわいい孫のためにありとあらゆる金をかき集めるはずだ。
もちろん、誘拐犯たちだってそんなジャン・ポール・ゲティを期待して孫を誘拐する。
ところが、この大富豪は違う。
そんな誘拐犯に対し、「身代金を一切払わない」ときっぱりと断るのだ。
「この一人の孫を助けるために、身代金を払ったら、他の全ての孫(12人いた)にも同じように誘拐されてしまう。
そんなことをしていたら、私は破産してしまう」と言うのだ。
なんと、ケチなんだ!!!
そのくせ、身代金と同じ値段の美術品には迷わず金を払うのだ。
その富豪の奇妙な行動をみて、「えっ?? 美術品 >>> 孫の命 なの??」と思うではないか。
さらに、彼の豪邸の廊下には美術館にあるようなフェルメールの絵が飾られていたり、電話を借りようとしたら公衆電話だったり、身代金を使って節税対策をしようとしたり。
なんとも仰天のエピソードが続く。
これには唖然とし、口があんぐりしてしまう。
そんな富豪の行動がイチイチ予測不能で奇妙で理解できず、まるで「あなたの知らない世界」を見せられているようで面白かった。
けれど、そのうち予測不能で理解不能なのも当然かなと思うようになった。
世界の上位から1%の富裕層に所属する富豪の思考回路を、その他99%の庶民が理解できるはずもない。
世界中の金を握る1%の人間は、それまで、他の人たちがしないことをすることで、富を築いてきたのだ。
庶民と同じ思考回路で行動していたら、飛び抜けられるはずもない。
トランプ大統領の思考回路がぶっ飛んでいるのを考えればよくわかる。
貧しい人たちを入国させたくなくて、国境に壁を立ててしまう思考回路はゲティとよく似てる。
それが富豪の「ノーマルな」考え方なのだ。
誘拐犯は、明らかに誘拐をする人間を間違えたのだ。
誘拐犯がイラついてポールの耳を切り落としてしまったのは、いかにもマフィア的なやり口だが、相手がいつまでも金を払う意志を見せなかったから、ポールの耳は切り落とされたのだ。
これは、身代金を用意できたのに、しなかった祖父を持ってしまったポールに舞い降りた不幸である。
子供の命を助けたいゲイルは、義父を相手に大ハッタリを打つ
しかし、ポールの母ゲイルは、なんとか息子の命を救いたい。
それには、「一切金は払わない」と言う祖父から、なんとしてでも金を引き出さなければならないのだ。
ポールの耳が切り落とされた後、富豪は一部の金をゲイルに「貸し付ける」約束をする。
ただ渡すのではなく、貸し付ければ「節税になる」からだ。
身代金で節税対策をするのだ!!
それでも、お金が足りない。
どうすればいいのか…。と考えた時、ゲイルは「富豪の思考に合わせた大一番」を打つ。
そのヒントになったのが、「ミノタウロスの像」である。
幼いポールが祖父の家に行った時に、祖父の部屋にあったミノタウロスの像に興味を持つ。
それを見た富豪は、「これは高価な美術品だ。しかし、それをお前にやろう」と言う。
その時のことを思い出し、ゲイルはそれを現金にして身代金にしようと、その像をサザビーズに持っていくのだが、それは美術館のお土産であり、数十ドルの価値しかないことを知らされる。
あのケチな富豪が、たとえ相手が孫だとしても、高価な美術品をプレゼントするはずがない。
ジャン・ポール・ゲティは、その価値がないものも「いかにも価値があるように見せる」天才なのだ。
そこに気付いたゲイルは、「身代金は用意できていないのに、いかにもあるように見せる」ことでお金を引き出そうと考えた。
記者会見を開き「お金が用意できました」とゲイルは言ったが、それは一か八かの大一番であり、ジャン・ポール・ゲティへのハッタリだったのだ。
ジャン・ポール・ゲティが何よりも大切にしているのは「プライドと見栄」なのだ。
もしも、「一旦払うと言ったものを取り下げること」になったら、世間はどう見るか。
この予想外の展開に焦ったゲティは、残りのお金も用意すると申し出る。
ゲイルは、最後の賭けに勝ったのだ。
築いた富で私腹を肥やした結果、孤独な最後を迎える富豪たち…
そんなゲティとゲイルの駆け引きを観ていると、「金とは何のためにあり、何のために使うのか」を考えてしまう。
この映画を観る限り、世界でもトップクラスの富豪 ジャン・ポール・ゲティとマフィアなどで構成された誘拐犯たちが考える「命の重さ」は同レベルである。
ゲティにとっては孫の命に払う金はなくても、美術品に払う金はあり、誘拐犯たちにとって、富豪の孫はただの金づるでしかなく、耳を切り落とすことなど珍しいことではない。
むしろ、ロマン・デュリスが演じた誘拐犯チンクアンタの方がゲティよりも人情や優しさを感じたところに、富豪への皮肉が感じられる。
さらに、最後まで身代金の支払いを渋り、値下げまでさせたゲティは家族からも敬遠されてしまう。
しかし、ゲイルとともに誘拐犯と交渉し、犯人捜しに尽力したフレッチャーは、最後にゲイルから「彼は家族よ」と言われる。
家族とは、血のつながりだけではないのだ。
ラストシーンで暖炉の前にいるゲティは、マリアの絵を眺めながら亡くなっていくが、これはオーソン・ウェルズの「市民ケーン」のラストシーンと同じである。
「市民ケーン」は新聞社を設立した富豪の孤独で空虚な人生を描いたものである。
「暖炉の前でマリアの絵を眺めるゲティ」は、リドリー・スコットが「ジャン・ポール・ゲティの孤独で空虚な人生」を表したものなのだ。
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自分で稼いだ金をどう使うかは、その人の自由だ。
しかし、その金を私腹を肥やすことだけに使っていたのでは、恨みを買うだけで、誰も寄ってこない。
結局、孤独な晩年を過ごすことになってしまう。
世界中の金の多くを1%の富裕層が握り、残りの99%が貧困に陥ることが、近年問題視されているが、その理由は富裕層の金の使い方に問題がありそうだ。
ローマ帝国が栄華を誇りながらも衰退したように、巨万の富を築いてもいつかは衰退する時がやってくる。
そして、最後に孤独を感じながら一生を終えるのなら、命を救うことにお金を使って欲しいと思うのは、庶民の平凡な意見に過ぎないのだろうか…。
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