ヴィゴ・モーテンセン主演の映画「はじまりへの旅」を映画館で観た。
山奥にある山小屋で暮らすベン一家が、ベンの妻であり子供たちの母の葬儀に出席するため、山奥から町に出て行くが…。
【満足度 評価】:★★★★☆
憧れはしないけど、彼ら一家の奇妙な日常生活と考え方には興味津々だった。
「普通とは何か」「当たり前のことは本当に当たり前のことなのか」について、改めて考えさせられる作品。
◆ネット配信で観る:「はじまりへの旅」(字幕版)
◆DVDで観る:「はじまりへの旅」
◆「はじまりへの旅」 【サントラ盤】
◆【映画パンフレット】はじまりへの旅
…(「グリーンブック」、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズ)
〇フランク・ランジェラ
〇スティーヴ・ザーン
…(「荒野にて」、「猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)」、「パーフェクト・ゲッタウェイ」など)
…(「あるふたりの情事、28の部屋」など)
2016年制作 アメリカ映画

アメリカ北西部の山奥にある森の中で暮らすお父さんのベン(ヴィゴ・モーテンセン)と、6人の子供たち。
食事は自給自足、学校へ行かず自分たちで勉強している彼らの中には、山から下りたことがない子供もいる。
ある時、数年前から病院に入院していたお母さんが亡くなってしまう。
彼らは葬儀に出席するために、森を出て、ニューメキシコへと向かうのだが…。

映画が始まってから30分程は、主人公であるベン一家の独特で奇妙な生活に圧倒された。
森で狩りをし、崖でロッククライミングしたり、山の中を走ったり、運動したり。
もちろん、テレビもなければ、携帯電話もない。
都会育ちでヘタレの私からしたら、「うわ~。こんなの絶対無理ーーー」という日常生活。
でもきっと、そんな彼らからしたら、私たちが当たり前のように暮らしている日常はどう思うだろうか。
毎日、満員電車に揺られて通勤・通学し、家族や友だちと面と向かわずに、携帯電話で会話をし、ときには嫌いな人たちに愛想笑いをしてやり過ごす。
そんな日常こそが、「無理ーーー」と思うかもしれない。
「普通」と思うことや、「当たり前」だと思うことは人それぞれであり、
人々が思う「理想の生活」も千差万別。
この映画を観て、そんな「普通とは何か」について考えさせられた。

このベン一家に限らず、子供たちは親の影響を受けて育つ。
幼稚園にするか、保育園にするか、小学校は公立にするか私立にするか。
本人の意思より、親の影響の方が強い。
そのまま「思春期」を迎えると、「こんなはずじゃなかった」と思い、急に親に反抗するようになる。
それがいわゆる反抗期であるが、このベン一家にも他の家庭と同じように反抗期がやってくる。
長男のボウはこれまで学校になど通ったこともないのに、いきなり大学に行きたいと言い出し、次男のレリアンは町の生活が気に入り「おじいちゃんと暮らしたい」と言い出す。
ベンにとっては、「最高の生活だ」と思っていた山小屋での暮らしだったが、温かいベッドとテレビゲームがある暮らしの方が良いと思う子供だっている。
これが、ベンにとって、痛いつまずきになる。
「自分の教育方針は間違っていたのか…」

ベンの教育方針が間違っていたわけではないと思う。
彼が育てた子供たちは、町で暮らす子供たちよりも頭が良く、何事も自分の頭で考える力を持っている。
彼らの「考える力」は、学校から一方的に均等に叩きこまれた教育だけではできない個性である。
運動神経だって、その辺の子供たちよりもずっと良い。
しかし、一般社会への適応能力が圧倒的に欠けている。
家族の中のコミュニティだけで暮らしているいるなら、それで良い。
もし、将来就きたい職業ができたり、結婚したいと思う時が来たらどうするのか。
彼らは、それでも「森の生活」を押し通すのだろうか。
そんな彼らの様子を観て、将来、子供には「自分の意志で人生を歩んで欲しい」と願うからこそ、ある程度、社会のことを知る必要があるんだと思った。
だから中学校までは、一般的な常識を知り、他者とのコミュニケーションを学ぶために義務教育になっているのだ。
何も、有名大学に行ったり、大企業に就職する必要はないし、それが常識だとは思わない。
かと言って、世間から隔離された生活を送ることも、ベストな教育方法ではないようだ。
だから、ボウはキスをしただけでひざまずいて「結婚してください」という青年に育ってしまったんだと思う。
それは、決して悪いことではないけど、世間で生きていくには、なかなか生きづらいのではと思う。
とはいえ、親から欲しい物を与えられて育った子供たちも決して素晴らしいとは言えない。
彼らの親戚の子供たちは、物欲にまみれ、一日中「ゲーム」をやることしか考えていない。
そうやって考えると、どれが正解なのか分からなくなってくる。
それでは、「普通の生活」とは、一体、どんなもので、何が正解なのか。
改めて考えさせられてしまう。

例えば、亡くなったお母さんの実家のように、広大な敷地に立つ立派な邸宅で暮らすのも悪いわけじゃない。
しかし、お母さんは、そんな「物欲」にまみれた世界が嫌になって、森の生活に憧れたんだろうと思う。
だからといって、世間から隔絶された「森の奥の山小屋」で暮らす生活がベストなわけでもない。
大事なのは、「豪華な邸宅」で暮らしている人も、「山奥の小屋」で暮らしている人もいていも良い。
多様な生活様式を自分の意思で選択でき、互いに尊重し合える世の中が本当に素晴らしいように思う。
「豪華な邸宅に住んでいるから」立派な人なのではなく、「山奥に住んでいるヒッピーだから」おかしな人なのでもない。
どちらも、社会に生きる一員なのである。
ただし、子供は義務教育を全うするという条件付きが良いと思う。
ある程度知識を付け、コミュニケーションの方法も学んだ上で、自分の暮らしを選択したら良い。
子供の人生は親のものではない。
子供自身のものである。
そうやって、互いの価値観や生活様式を認めることが、「多様性の容認」であり、社会は広がっていくのである。
結局、一家は社会と程よい距離を保ちながら生活し、子供たちは学校に通うようになる。
その生活スタイルが彼らにとって心地よい暮らしであるならば、それが正解なんだと思う。
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◆「はじまりへの旅」 【サントラ盤】
◆【映画パンフレット】はじまりへの旅
山奥にある山小屋で暮らすベン一家が、ベンの妻であり子供たちの母の葬儀に出席するため、山奥から町に出て行くが…。
【満足度 評価】:★★★★☆
憧れはしないけど、彼ら一家の奇妙な日常生活と考え方には興味津々だった。
「普通とは何か」「当たり前のことは本当に当たり前のことなのか」について、改めて考えさせられる作品。
「はじまりへの旅」予告編 動画
(原題:CAPTAIN FANTASTIC)◆ネット配信で観る:「はじまりへの旅」(字幕版)
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キャスト&スタッフ
出演者
〇ヴィゴ・モーテンセン…(「グリーンブック」、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズ)
〇フランク・ランジェラ
…(「マローボーン家の掟」など)
〇スティーヴ・ザーン
…(「荒野にて」、「猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)」、「パーフェクト・ゲッタウェイ」など)
監督・脚本
〇マット・ロス…(「あるふたりの情事、28の部屋」など)
2016年制作 アメリカ映画

あらすじ
アメリカ北西部の山奥にある森の中で暮らすお父さんのベン(ヴィゴ・モーテンセン)と、6人の子供たち。
食事は自給自足、学校へ行かず自分たちで勉強している彼らの中には、山から下りたことがない子供もいる。
ある時、数年前から病院に入院していたお母さんが亡くなってしまう。
彼らは葬儀に出席するために、森を出て、ニューメキシコへと向かうのだが…。

感想(ネタバレあり)
「普通」とはいったい何??
映画が始まってから30分程は、主人公であるベン一家の独特で奇妙な生活に圧倒された。
森で狩りをし、崖でロッククライミングしたり、山の中を走ったり、運動したり。
もちろん、テレビもなければ、携帯電話もない。
都会育ちでヘタレの私からしたら、「うわ~。こんなの絶対無理ーーー」という日常生活。
でもきっと、そんな彼らからしたら、私たちが当たり前のように暮らしている日常はどう思うだろうか。
毎日、満員電車に揺られて通勤・通学し、家族や友だちと面と向かわずに、携帯電話で会話をし、ときには嫌いな人たちに愛想笑いをしてやり過ごす。
そんな日常こそが、「無理ーーー」と思うかもしれない。
「普通」と思うことや、「当たり前」だと思うことは人それぞれであり、
人々が思う「理想の生活」も千差万別。
この映画を観て、そんな「普通とは何か」について考えさせられた。

「自分の教育方針は間違っていたのかもしれない」という気付き
このベン一家に限らず、子供たちは親の影響を受けて育つ。
幼稚園にするか、保育園にするか、小学校は公立にするか私立にするか。
本人の意思より、親の影響の方が強い。
そのまま「思春期」を迎えると、「こんなはずじゃなかった」と思い、急に親に反抗するようになる。
それがいわゆる反抗期であるが、このベン一家にも他の家庭と同じように反抗期がやってくる。
長男のボウはこれまで学校になど通ったこともないのに、いきなり大学に行きたいと言い出し、次男のレリアンは町の生活が気に入り「おじいちゃんと暮らしたい」と言い出す。
ベンにとっては、「最高の生活だ」と思っていた山小屋での暮らしだったが、温かいベッドとテレビゲームがある暮らしの方が良いと思う子供だっている。
これが、ベンにとって、痛いつまずきになる。
「自分の教育方針は間違っていたのか…」

義務教育の必要性
ベンの教育方針が間違っていたわけではないと思う。
彼が育てた子供たちは、町で暮らす子供たちよりも頭が良く、何事も自分の頭で考える力を持っている。
彼らの「考える力」は、学校から一方的に均等に叩きこまれた教育だけではできない個性である。
運動神経だって、その辺の子供たちよりもずっと良い。
しかし、一般社会への適応能力が圧倒的に欠けている。
家族の中のコミュニティだけで暮らしているいるなら、それで良い。
もし、将来就きたい職業ができたり、結婚したいと思う時が来たらどうするのか。
彼らは、それでも「森の生活」を押し通すのだろうか。
そんな彼らの様子を観て、将来、子供には「自分の意志で人生を歩んで欲しい」と願うからこそ、ある程度、社会のことを知る必要があるんだと思った。
だから中学校までは、一般的な常識を知り、他者とのコミュニケーションを学ぶために義務教育になっているのだ。
何も、有名大学に行ったり、大企業に就職する必要はないし、それが常識だとは思わない。
かと言って、世間から隔離された生活を送ることも、ベストな教育方法ではないようだ。
だから、ボウはキスをしただけでひざまずいて「結婚してください」という青年に育ってしまったんだと思う。
それは、決して悪いことではないけど、世間で生きていくには、なかなか生きづらいのではと思う。
とはいえ、親から欲しい物を与えられて育った子供たちも決して素晴らしいとは言えない。
彼らの親戚の子供たちは、物欲にまみれ、一日中「ゲーム」をやることしか考えていない。
そうやって考えると、どれが正解なのか分からなくなってくる。
それでは、「普通の生活」とは、一体、どんなもので、何が正解なのか。
改めて考えさせられてしまう。

「豪邸暮らし」と「山奥暮らし」心地よい生活はどちらなのか
例えば、亡くなったお母さんの実家のように、広大な敷地に立つ立派な邸宅で暮らすのも悪いわけじゃない。
しかし、お母さんは、そんな「物欲」にまみれた世界が嫌になって、森の生活に憧れたんだろうと思う。
だからといって、世間から隔絶された「森の奥の山小屋」で暮らす生活がベストなわけでもない。
大事なのは、「豪華な邸宅」で暮らしている人も、「山奥の小屋」で暮らしている人もいていも良い。
多様な生活様式を自分の意思で選択でき、互いに尊重し合える世の中が本当に素晴らしいように思う。
「豪華な邸宅に住んでいるから」立派な人なのではなく、「山奥に住んでいるヒッピーだから」おかしな人なのでもない。
どちらも、社会に生きる一員なのである。
ただし、子供は義務教育を全うするという条件付きが良いと思う。
ある程度知識を付け、コミュニケーションの方法も学んだ上で、自分の暮らしを選択したら良い。
子供の人生は親のものではない。
子供自身のものである。
そうやって、互いの価値観や生活様式を認めることが、「多様性の容認」であり、社会は広がっていくのである。
結局、一家は社会と程よい距離を保ちながら生活し、子供たちは学校に通うようになる。
その生活スタイルが彼らにとって心地よい暮らしであるならば、それが正解なんだと思う。
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