Netflixオリジナル映画「オクジャ okja」を試写会で観た。
スーパーピッグのオクジャと飼い主ミジャの冒険物語。
【満足度 評価】:★★★★★
最後の方は泣きっぱなし。
「嫌だ、お願いだからオクジャをミジャの元に返してあげて!!」と願いながら、引き裂かれてしまう巨大動物ミジャとオクジャの愛情に完全に感情移入していた。
自分たちの食欲のために、多くの動物を犠牲にしている人間はつくづく傲慢だなと思うけど、その反面、食べることが大好きな自分もいて、じゃぁ、動物のために肉食を辞めることできるのかと言われれば、それもできず、なんとも言えない気持ちになる映画だった。
その「なんとも言えない気持ち」で今の飽食の時代をどう見るのか。
私たちは本当に贅沢すぎる生活をしていないのか…。なかなか身につまされる作品だった。
…(「サスペリア」、「ドクター・ストレンジ」、「ヘイル・シーザー!」、「フィクサー」、「コンスタンティン」など)
〇ポール・ダノ
…(「グランド・フィナーレ」など)
〇アン・ソヒョン
〇リリー・コリンズ
〇ユン・ジェムン
…(「22年目の記憶」、「少女は悪魔を待ちわびて」、「海にかかる霧」、「ブーメランファミリー」、「私は公務員だ」など)
〇ピョン・ヒボン
〇チェ・ウシク
〇ジャンカルロ・エスポジート
…(「メイズ・ランナー 最期の迷宮」、「ポーカーナイト 監禁脱出」、ドラマシリーズ「ブレイキング・バッド」など)
〇ジェイク・ギレンホール
…(「ボストン ストロング ダメな僕だから英雄になれた」、「ライフ」、「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」、「プリズナーズ」、「エヴェレスト3D」、「ミッション:8ミニッツ」、「サウスポー」、「ムーンライト・マイル」、「遠い空の向こうに」、「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」、「ブロークバック・マウンテン」)
…(<出演>「マネー・ショート」、「フューリー」、「ワールド・ウォー・z」、「イングロリアス・バスターズ」、<製作>「ビューティフル・ボーイ」、<製作総指揮>「ムーンライト」など)
2017年制作 アメリカ、韓国合作映画

韓国の山奥でひっそりと暮らしていたミジャ(アン・ソヒョン)とスーパーピッグのオクジャ。
しかし、ある時ルーシー・ミランド(ティルダ・スウィントン)が経営するミランド・コーポレーションがオクジャをNYへ連れ去ってしまう。
スーパーピッグはミランド社がより安く、より美味しい食肉を消費者に提供するために遺伝子組み換えをして作り出された動物だった。
世界中の農場で育てられたスーパーピッグの中でも、最も理想的な成長をしたオクジャをアメリカで「世界一のスーパーピッグ」として表彰し、宣伝に利用しようと思ったためだった。
幼い時からオクジャと共に姉妹のように過ごしてきたミジャは、オクジャを取り戻すためにNYへと向かうのだが…。

この映画の見どころは、スーパーピッグの「オクジャ」と家族のように暮らす飼い主の少女ミジャの胸が締め付けられる愛情物語である。
巨大動物?スーパーピッグ??と言われると、イマイチ、ピンと来ないかもしれないが、共に姉妹のように育ったペットと少女の関係のようなものだと考えると分かりやすい。
毎日共に遊び、助け合いながら育ち、言葉を交わさなくても分かり合える。
そんな彼らの観ているだけで心が温まるような愛情関係が、人間の強欲によって引き離されてしまう。
そこから、私たちは人間の愚かさや、自己中心的な生き方を教えられるのである。
それでは、そのスーパーピッグとは一体何なのか??
その名の通り、「ただの大きな豚」である。
アメリカの大手食肉製造会社のミランダ社が「より安く、より安全でおいしい食肉を、より多くの人に提供するため」に遺伝子組み換えして製造した豚である。
しかし、「遺伝子組み換え」と言うと消費者が寄り付かないので、表向きは南米のチリで発見された「奇跡の豚」だということにしている。
遺伝子組み換えによって生まれたスーパーピッグは世界26か国の農場で飼育され、最も優秀な豚は10年後にアメリカの本社で表彰されることになっていた。
そして、スーパービッグ誕生から10年後、その「最も優秀な豚」にオクジャが選ばれ、NYへと連れて行かれることになってしまった。
国産牛で例えるなら、最も優秀な松坂牛が品評会で表彰されるようなものか。
店先に「〇〇の品評会で優秀賞をもらいました」と賞状が飾られ、それが店の宣伝になるように、オクジャはミランダ社にとっての「看板豚」だったのだ。

オクジャはミジャにとっては家族でも、ミジャの保護者であるおじいちゃんにとっては、初めから売り飛ばすための家畜だった。
そのことをミジャに隠していたから、話がこじれてしまう。
ミジャは大切な妹を悪者たちに奪われたと思い、おじいちゃんお制止を振り切り、オクジャ奪還のために行動を開始する。
おじいちゃんからすれば、ミジャがペットの豚のためにそこまでするとは思わず、「ソウルに連れて行かれた」と言えば諦めると思ったのだ。
ところが、ミジャは決して諦めなかった。
このミジャの意思の強さは、この映画の魅力の1つである。
ミジャの目の前にあるのが強化ガラスだろうと、言葉の通じないアメリカだろうと、電流の通った有刺鉄線だろうと、その向こう側にオクジャがいるのであれば、そんなものが彼女を止めることはできない。
何があってもオクジャを韓国の家に連れて帰る。
その目的に向かって猪突猛進な彼女の姿に心が打たれる。
彼らの間にある愛情は、男女の愛情や、親子の愛情を超えるかもしれないと思えるぐらい、強い絆で結ばれていた。

しかし、ミジャは所詮子供だ。
結局、彼らは利益優先を促進しようとする食肉産業の思惑と、それを阻止しようとする動物愛護団体との争いに巻き込まれていく。
それはオクジャとミジャには何の関係もないにも関わらずだ。
彼らは共に暮らしたいだけで、家畜になった気もなければ、動物愛護を訴えるつもりもない。
ただただ、見事に「大人の事情」に踊らされていく。
さらには、食肉産業と動物愛護団体の戦いには、肝心の「消費者」が不在である。
食肉産業は会社の利益ばかりを重視し、消費者は「安ければ何でも買う」と言って見下している。
動物愛護団体は「どんな動物も殺してはいけない」という自分のエゴを貫き通し、食肉を必要としている多くの消費者を無視している。
消費者は遺伝子組み換えを望んではいないが、できれば安くて美味しい食肉を食べたいのだ。
オクジャとミジャは、その狭間で見事に翻弄されていたのだ。
オクジャというスーパーピッグは本来、誰のために作られたものだったのか。
消費者のためでもなく、ましてや貧しい人たちのためでもない。
ただ、自分たちの利益のために作られたクリーチャーだったのだ。

そんな薄汚い人間の愚かな争いの中で翻弄されるオクジャとミジャの純愛から、私たちは人間の傲慢さや自己中心的なものの考え方を教えられたように思う。
しかし、そこで自己矛盾が生まれる。
例えば、焼き肉を食べに行った時に、高級なカルビと安いサムギョプサルがあったら、迷わず安いサムギョプサルをたくさん注文してお腹を満たしていないだろうか。
ちょっと生活費が大変な時は、安いハンバーガーで済ませる時だってあるのではないか。
その私たちの「安い物嗜好」が、食肉産業の「より安くて、美味しい食肉の開発」につながっていく。
その中で、オクジャのような被害者が生まれるのである。
オクジャとミジャの愛情に涙を流し、「お願いだから引き離さないでくれ」と言ったところで、その責任の一端は自分自身にある。
このなんとも言えない皮肉さが、この映画のすごいところである。
「オクジャを助けてくれと言うなら、明日から豚肉を食べるな」と言われたら、私だったら「ごめんなさい」と言ってしまいそうだ。
だから、私たちにできることは、「より安い物をお腹いっぱい食べる」ことではなく、なるべくなら、より体に良い食べ物を適度に選ぶことなのだ。
うーーん。すごく難しい。
しかし、そう意識をしていかないと、いつか本当にオクジャのような犠牲がでるかも(いや、もう既にどこかでそんな犠牲が出ているかも)しれない。
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スーパーピッグのオクジャと飼い主ミジャの冒険物語。
【満足度 評価】:★★★★★
最後の方は泣きっぱなし。
「嫌だ、お願いだからオクジャをミジャの元に返してあげて!!」と願いながら、引き裂かれてしまう巨大動物ミジャとオクジャの愛情に完全に感情移入していた。
自分たちの食欲のために、多くの動物を犠牲にしている人間はつくづく傲慢だなと思うけど、その反面、食べることが大好きな自分もいて、じゃぁ、動物のために肉食を辞めることできるのかと言われれば、それもできず、なんとも言えない気持ちになる映画だった。
その「なんとも言えない気持ち」で今の飽食の時代をどう見るのか。
私たちは本当に贅沢すぎる生活をしていないのか…。なかなか身につまされる作品だった。
「オクジャ okja」予告編 動画
(原題:okja)キャスト&スタッフ
出演者
〇ティルダ・スウィントン…(「サスペリア」、「ドクター・ストレンジ」、「ヘイル・シーザー!」、「フィクサー」、「コンスタンティン」など)
〇ポール・ダノ
…(「グランド・フィナーレ」など)
〇アン・ソヒョン
〇リリー・コリンズ
〇ユン・ジェムン
…(「22年目の記憶」、「少女は悪魔を待ちわびて」、「海にかかる霧」、「ブーメランファミリー」、「私は公務員だ」など)
〇ピョン・ヒボン
〇チェ・ウシク
〇ジャンカルロ・エスポジート
…(「メイズ・ランナー 最期の迷宮」、「ポーカーナイト 監禁脱出」、ドラマシリーズ「ブレイキング・バッド」など)
〇ジェイク・ギレンホール
…(「ボストン ストロング ダメな僕だから英雄になれた」、「ライフ」、「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」、「プリズナーズ」、「エヴェレスト3D」、「ミッション:8ミニッツ」、「サウスポー」、「ムーンライト・マイル」、「遠い空の向こうに」、「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」、「ブロークバック・マウンテン」)
監督
〇ポン・ジュノ製作総指揮
〇ブラッド・ピット…(<出演>「マネー・ショート」、「フューリー」、「ワールド・ウォー・z」、「イングロリアス・バスターズ」、<製作>「ビューティフル・ボーイ」、<製作総指揮>「ムーンライト」など)
2017年制作 アメリカ、韓国合作映画

あらすじ
韓国の山奥でひっそりと暮らしていたミジャ(アン・ソヒョン)とスーパーピッグのオクジャ。
しかし、ある時ルーシー・ミランド(ティルダ・スウィントン)が経営するミランド・コーポレーションがオクジャをNYへ連れ去ってしまう。
スーパーピッグはミランド社がより安く、より美味しい食肉を消費者に提供するために遺伝子組み換えをして作り出された動物だった。
世界中の農場で育てられたスーパーピッグの中でも、最も理想的な成長をしたオクジャをアメリカで「世界一のスーパーピッグ」として表彰し、宣伝に利用しようと思ったためだった。
幼い時からオクジャと共に姉妹のように過ごしてきたミジャは、オクジャを取り戻すためにNYへと向かうのだが…。

感想(ネタバレあり)
より安くておいしい肉を追及して生まれたスーパーピッグ
この映画の見どころは、スーパーピッグの「オクジャ」と家族のように暮らす飼い主の少女ミジャの胸が締め付けられる愛情物語である。
巨大動物?スーパーピッグ??と言われると、イマイチ、ピンと来ないかもしれないが、共に姉妹のように育ったペットと少女の関係のようなものだと考えると分かりやすい。
毎日共に遊び、助け合いながら育ち、言葉を交わさなくても分かり合える。
そんな彼らの観ているだけで心が温まるような愛情関係が、人間の強欲によって引き離されてしまう。
そこから、私たちは人間の愚かさや、自己中心的な生き方を教えられるのである。
それでは、そのスーパーピッグとは一体何なのか??
その名の通り、「ただの大きな豚」である。
アメリカの大手食肉製造会社のミランダ社が「より安く、より安全でおいしい食肉を、より多くの人に提供するため」に遺伝子組み換えして製造した豚である。
しかし、「遺伝子組み換え」と言うと消費者が寄り付かないので、表向きは南米のチリで発見された「奇跡の豚」だということにしている。
遺伝子組み換えによって生まれたスーパーピッグは世界26か国の農場で飼育され、最も優秀な豚は10年後にアメリカの本社で表彰されることになっていた。
そして、スーパービッグ誕生から10年後、その「最も優秀な豚」にオクジャが選ばれ、NYへと連れて行かれることになってしまった。
国産牛で例えるなら、最も優秀な松坂牛が品評会で表彰されるようなものか。
店先に「〇〇の品評会で優秀賞をもらいました」と賞状が飾られ、それが店の宣伝になるように、オクジャはミランダ社にとっての「看板豚」だったのだ。

人間にとって豚はただの家畜なのか、それとも家族なのか
オクジャはミジャにとっては家族でも、ミジャの保護者であるおじいちゃんにとっては、初めから売り飛ばすための家畜だった。
そのことをミジャに隠していたから、話がこじれてしまう。
ミジャは大切な妹を悪者たちに奪われたと思い、おじいちゃんお制止を振り切り、オクジャ奪還のために行動を開始する。
おじいちゃんからすれば、ミジャがペットの豚のためにそこまでするとは思わず、「ソウルに連れて行かれた」と言えば諦めると思ったのだ。
ところが、ミジャは決して諦めなかった。
このミジャの意思の強さは、この映画の魅力の1つである。
ミジャの目の前にあるのが強化ガラスだろうと、言葉の通じないアメリカだろうと、電流の通った有刺鉄線だろうと、その向こう側にオクジャがいるのであれば、そんなものが彼女を止めることはできない。
何があってもオクジャを韓国の家に連れて帰る。
その目的に向かって猪突猛進な彼女の姿に心が打たれる。
彼らの間にある愛情は、男女の愛情や、親子の愛情を超えるかもしれないと思えるぐらい、強い絆で結ばれていた。

企業 VS 動物愛護団体 「食肉」を巡る消費者不在の争い
しかし、ミジャは所詮子供だ。
結局、彼らは利益優先を促進しようとする食肉産業の思惑と、それを阻止しようとする動物愛護団体との争いに巻き込まれていく。
それはオクジャとミジャには何の関係もないにも関わらずだ。
彼らは共に暮らしたいだけで、家畜になった気もなければ、動物愛護を訴えるつもりもない。
ただただ、見事に「大人の事情」に踊らされていく。
さらには、食肉産業と動物愛護団体の戦いには、肝心の「消費者」が不在である。
食肉産業は会社の利益ばかりを重視し、消費者は「安ければ何でも買う」と言って見下している。
動物愛護団体は「どんな動物も殺してはいけない」という自分のエゴを貫き通し、食肉を必要としている多くの消費者を無視している。
消費者は遺伝子組み換えを望んではいないが、できれば安くて美味しい食肉を食べたいのだ。
オクジャとミジャは、その狭間で見事に翻弄されていたのだ。
オクジャというスーパーピッグは本来、誰のために作られたものだったのか。
消費者のためでもなく、ましてや貧しい人たちのためでもない。
ただ、自分たちの利益のために作られたクリーチャーだったのだ。

それが傲慢だと分かっていながらも自分の中でモヤモヤする矛盾
そんな薄汚い人間の愚かな争いの中で翻弄されるオクジャとミジャの純愛から、私たちは人間の傲慢さや自己中心的なものの考え方を教えられたように思う。
しかし、そこで自己矛盾が生まれる。
例えば、焼き肉を食べに行った時に、高級なカルビと安いサムギョプサルがあったら、迷わず安いサムギョプサルをたくさん注文してお腹を満たしていないだろうか。
ちょっと生活費が大変な時は、安いハンバーガーで済ませる時だってあるのではないか。
その私たちの「安い物嗜好」が、食肉産業の「より安くて、美味しい食肉の開発」につながっていく。
その中で、オクジャのような被害者が生まれるのである。
オクジャとミジャの愛情に涙を流し、「お願いだから引き離さないでくれ」と言ったところで、その責任の一端は自分自身にある。
このなんとも言えない皮肉さが、この映画のすごいところである。
「オクジャを助けてくれと言うなら、明日から豚肉を食べるな」と言われたら、私だったら「ごめんなさい」と言ってしまいそうだ。
だから、私たちにできることは、「より安い物をお腹いっぱい食べる」ことではなく、なるべくなら、より体に良い食べ物を適度に選ぶことなのだ。
うーーん。すごく難しい。
しかし、そう意識をしていかないと、いつか本当にオクジャのような犠牲がでるかも(いや、もう既にどこかでそんな犠牲が出ているかも)しれない。
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