北野武監督、主演の映画「その男、凶暴につき」をWOWOWで観た。
暴力団に一人で立ち向かう警察官を描く。
【満足度 評価】:★★★★☆
ビートたけしの薄気味悪さ、次に何が起こるか分からないストーリー展開の緊迫感に目が離せない作品だった。
大好き。
出演:ビートたけし、白竜、川上麻衣子、岸部一徳、佐野史郎
監督:北野武 1989年製作 日本映画
◆「その男、凶暴につき」 DVD
我妻(ビートたけし)は、精神科に入院していた妹(川上麻衣子)と二人暮らしの警察官。
犯罪者を検挙するためには手段を選ばず、時には暴力を振るってでも罪を吐かせてしまう。
我妻が所属する警察署へ新任の署長としてやってきた吉成(佐野史郎)は、出世街道を歩むことに必死であり、問題児の我妻は目の上のたんこぶだった。
そしてある時、我妻の管轄で覚せい剤の売人が殺される事件が発生する…。

主人公の我妻は警察官。
しかし、この警察官、清廉潔白ではない。
賄賂はもらうし、多少の悪には目をつぶり、カッとなったら暴力が止まらない。
ボコボコ殴って、ガンガン蹴りを入れる。
それが、大人だろうと、未成年だろうと関係ない。
しかし、そんな我妻の裏には、精神状態が崩壊してしまった妹を保護するという優しいお兄さんの顔がある。
この我妻という男、一体何者なのか。
まさに人間そのものであり、この映画の面白さの全てだった。

この映画の中で最も印象に残るのは、その我妻の笑顔だった。
笑顔というのは、本来楽しい時に出るもの。
心から楽しいと思える時、人は笑顔になる。
しかし、この我妻は「暴力を加えている時」に笑顔になる。
容疑者を車で追い、今にも轢きそうになっている時や、別の容疑者と差し向かいで情報を吐かせようとしている時、不敵な笑顔を浮かべる。
なぜ笑顔?
目の前にいる人間が死にそうになっているのに。
人を殺してしまうという恐れはないのか。
これは、登山者にとってのクライマーズハイのような高揚感から来るものなのだろうか。
その薄気味悪さを観ているこちらは、我妻に対するさらなる恐怖を感じ、彼が警察官であることを忘れてしまう。

また、彼の暴力もハンパない。
こちらが「もう、やめて!」と思うぐらい相手を痛めつける。
ビンタを打ち過ぎて、顔から血が溢れ出る。
「人間はどこまで凶暴になれるのか」
そんな姿を見せつけられているような恐ろしさだった。
普通の人は、「これ以上やったら死んでしまう」という理性のストッパーを持っている。
しかし、この我妻にはそのストッパーがない。
また、相手も簡単にくたばらない。
人間は、そう簡単に人は殺せないし、簡単に死なない。
その極限の姿がそこにはある。

そんな「凶暴な男」我妻を描いたこの映画。
彼が、「人間の理解の範囲を超えた」ところにいるために、次の行動が読めず、先の展開が分からない。
「えっ!?」と思い、心に残っているシーンがある。
清弘(白竜)に対し、許容範囲を超える尋問をしたために、クビになってしまった我妻。
仕事のなくなった彼が映画館の前を歩いている時、清弘に襲われ取っ組み合いのケンカに。
そこへ偶然通りかかった女子2人。
清弘が発砲した銃の流れ弾がその女子に偶然、命中して亡くなってしまう。
人が1人亡くなっているのに、我妻も清弘も、そんなことお構いなしでそこからいなくなってしまう。
もしも、これがアメリカ映画だったら、主人公の警官は、すぐさま救急車を呼び、その女子を助け、間一髪のところで命が助かるだろう。
それがアメリカの必要不可欠な倫理観だからだ。
しかし、この映画には倫理観も理性もない。
実際、人を殺そうと思っている人間に倫理観も理性もないだろう。
そのリアリティが、この映画の怖さであり面白さだと思った。

常識的な人が「人を殺すという」想像ができないは、本来持っている「理性」が、人間の凶暴性にストップをかけているから。
その理性が「人間」と「野生動物」の大きな違いだ。
ならば、「人殺し」は理性を超えたところに存在しており、その「人殺し」を捕まえるのなら、こちら側も「理性」を超えてしまえばいいというのが我妻。
そんな風に描かれているように見えた。
死に対する恐れを超えた存在。
それならば彼らを題材にしている北野武本人も、理性を超える瞬間がある人なのかもしれない。
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◆「その男、凶暴につき」 DVD
暴力団に一人で立ち向かう警察官を描く。
【満足度 評価】:★★★★☆
ビートたけしの薄気味悪さ、次に何が起こるか分からないストーリー展開の緊迫感に目が離せない作品だった。
大好き。
出演:ビートたけし、白竜、川上麻衣子、岸部一徳、佐野史郎
監督:北野武 1989年製作 日本映画
「その男、凶暴につき」予告編 動画
◆「その男、凶暴につき」 DVD
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あらすじ
我妻(ビートたけし)は、精神科に入院していた妹(川上麻衣子)と二人暮らしの警察官。
犯罪者を検挙するためには手段を選ばず、時には暴力を振るってでも罪を吐かせてしまう。
我妻が所属する警察署へ新任の署長としてやってきた吉成(佐野史郎)は、出世街道を歩むことに必死であり、問題児の我妻は目の上のたんこぶだった。
そしてある時、我妻の管轄で覚せい剤の売人が殺される事件が発生する…。

感想(ネタバレあり) 我妻とは一体何者なのか
主人公の我妻は警察官。
しかし、この警察官、清廉潔白ではない。
賄賂はもらうし、多少の悪には目をつぶり、カッとなったら暴力が止まらない。
ボコボコ殴って、ガンガン蹴りを入れる。
それが、大人だろうと、未成年だろうと関係ない。
しかし、そんな我妻の裏には、精神状態が崩壊してしまった妹を保護するという優しいお兄さんの顔がある。
この我妻という男、一体何者なのか。
まさに人間そのものであり、この映画の面白さの全てだった。

人は人を殺すときに笑顔になるものなのか
この映画の中で最も印象に残るのは、その我妻の笑顔だった。
笑顔というのは、本来楽しい時に出るもの。
心から楽しいと思える時、人は笑顔になる。
しかし、この我妻は「暴力を加えている時」に笑顔になる。
容疑者を車で追い、今にも轢きそうになっている時や、別の容疑者と差し向かいで情報を吐かせようとしている時、不敵な笑顔を浮かべる。
なぜ笑顔?
目の前にいる人間が死にそうになっているのに。
人を殺してしまうという恐れはないのか。
これは、登山者にとってのクライマーズハイのような高揚感から来るものなのだろうか。
その薄気味悪さを観ているこちらは、我妻に対するさらなる恐怖を感じ、彼が警察官であることを忘れてしまう。

理性のブレーキがかからない人間とは…
また、彼の暴力もハンパない。
こちらが「もう、やめて!」と思うぐらい相手を痛めつける。
ビンタを打ち過ぎて、顔から血が溢れ出る。
「人間はどこまで凶暴になれるのか」
そんな姿を見せつけられているような恐ろしさだった。
普通の人は、「これ以上やったら死んでしまう」という理性のストッパーを持っている。
しかし、この我妻にはそのストッパーがない。
また、相手も簡単にくたばらない。
人間は、そう簡単に人は殺せないし、簡単に死なない。
その極限の姿がそこにはある。

倫理観や理性をなくした人間のリアリティ
そんな「凶暴な男」我妻を描いたこの映画。
彼が、「人間の理解の範囲を超えた」ところにいるために、次の行動が読めず、先の展開が分からない。
「えっ!?」と思い、心に残っているシーンがある。
清弘(白竜)に対し、許容範囲を超える尋問をしたために、クビになってしまった我妻。
仕事のなくなった彼が映画館の前を歩いている時、清弘に襲われ取っ組み合いのケンカに。
そこへ偶然通りかかった女子2人。
清弘が発砲した銃の流れ弾がその女子に偶然、命中して亡くなってしまう。
人が1人亡くなっているのに、我妻も清弘も、そんなことお構いなしでそこからいなくなってしまう。
もしも、これがアメリカ映画だったら、主人公の警官は、すぐさま救急車を呼び、その女子を助け、間一髪のところで命が助かるだろう。
それがアメリカの必要不可欠な倫理観だからだ。
しかし、この映画には倫理観も理性もない。
実際、人を殺そうと思っている人間に倫理観も理性もないだろう。
そのリアリティが、この映画の怖さであり面白さだと思った。

死に対する恐れを超える
常識的な人が「人を殺すという」想像ができないは、本来持っている「理性」が、人間の凶暴性にストップをかけているから。
その理性が「人間」と「野生動物」の大きな違いだ。
ならば、「人殺し」は理性を超えたところに存在しており、その「人殺し」を捕まえるのなら、こちら側も「理性」を超えてしまえばいいというのが我妻。
そんな風に描かれているように見えた。
死に対する恐れを超えた存在。
それならば彼らを題材にしている北野武本人も、理性を超える瞬間がある人なのかもしれない。
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