ヤン・イクチュン主演の映画「詩人の恋」を東京国際映画祭で観た。
売れない詩人とドーナツ屋の青年の淡い恋を描く。
【満足度 評価】:★★★★☆
済州島の美しい景色を背景に、時には笑いながら、最後にはジーンとさせる素敵な作品だった。
『恋』とは、もう縁がないと思っていた時に突然訪れるものなのかもしれない。
そして、そんな『恋』は人を成長させる。
…(「フェイク~我は神なり」(声のみ)、「あゝ、荒野 前編」など)
〇チョン・ヘジン
…(「黄泉がえる復讐」、「名もなき野良犬の輪舞(ロンド)」、「王の運命(さだめ)歴史を変えた八日間」など)
〇チョン・カラム
2017年製作 韓国映画

済州島で暮らす詩人(ヤン・イクチュン)は、本業の詩がなかなか書けず、収入がないため、地元の学校で詩の授業をしているものの、生活は妻(チョン・ヘジン)の収入に頼るという生活をしていた。
妻は子供を産むことを望んでいるが、なかなか子供ができないため不妊治療の検査を受ける。
そんな詩人が近所のドーナツ屋さんで働く青年(チョン・カラム)を一目見た時から、彼の美しさに魅入られてしまう…。

恋にもいろいろある、人を破滅に追い詰める恋もあるし、恋に没頭してやる気を奪う恋もある。
そんな様々な形を見せる恋の中でも、人を輝かせたり、成長させたりする『良い恋』っていうのは、出会うべくして出会った恋だと思う。
しかし、そんな恋には、なかなか出会えない。
この映画「詩人の恋」の中で描かれるのは、売れない詩人が出会った「運命の恋」について。
これまで、パッとしない人生を送ってきた詩人が、これまで出会ったことのない『恋』を知ることで、人間として成長し、詩人としても一皮むけていく姿が描かれる。
詩人だけでなく、作家や歌手など、自分を表現することによってアートを生み出すアーティストたちにとって、どれだけ『恋』が作品に影響を及ぼすのかを感じるし、アーティストでなくても、人として成長できる『恋』っていうのは素晴らしいなぁと思った。
ヤン・イクチュン演じる主人公の詩人は、中年に差し掛かり、妻はいるけれどセックスレスな仲である。
自分で望んだ結婚というよりも、商売上手な妻には収入があるため、好きな詩を書いて生活できることに魅力を感じ、気の強い妻に押し切られた結婚だった。
だからといって、不仲というわけではないが、恋人というよりも、姉弟のような雰囲気に近い夫婦である。
そんな彼は、これまで本当の恋を知らなかったのである。
そんな妻が「子供が欲しい」と言い出したことで、詩人にとって妻とのセックスが苦痛であることを自覚することになった。
まるでレイプのようなセックスをしたにも関わらず、一向に子供ができるようすが無いので、産婦人科に行くと、詩人が無精子症であることが分かる。
それでも妻は子供を諦めず、詩人の数少ない精子を使って人工授精をすることになった。
詩人が『運命の恋』に出会ったのは、そんな妻の『子作り大作戦』に疲れてを感じていた時だった。

出会いはドーナツ屋だった。
たまたま食べたドーナツが美味しくて、そのドーナツ屋に自分で買いに行った時、そのお店で働くアルバイトの青年を美しいと思った。
そして、何度も通ううちに「彼のことを知りたい」と思うようになる。
これは完全に『恋』である。
地元の不良たちと仲良くしている青年は、勉強嫌いで、一見ただのゴロツキに見えた。
しかし、彼の家は貧しく、病気の父親を自宅で介護していることを知ってしまう。
さらに、青年の母親は『花札』が好きで、収入があれば、すぐに『花札』に使ってしまう。
そのため、青年と母親の間では、父の介護について言い争いが絶えない。
詩人が彼の家を訪ねた時も、病気で寝たきりの父に「殺してくれ」と頼まれる有様だった。
そんな悲惨な家庭環境を表情に出さず、ひたむきに暮らす青年に対し、詩人は「なんでもしてあげたい」と思うようになる。
そして青年は、そんな詩人の優しさを利用するようになる。

とはいえ、青年は、表向き悪ぶっていながらも、影では病気の父親を献身的に介護しているような子なので、世話を焼こうとする詩人に完全に甘えることもできない。
なぜなら、詩人は結婚しているからだ。
青年は詩人の『親切を超えた愛情』を感じながらも、妻のことを思うと自制心が働いてしまう。
しかし、その妻の存在があったからこそ、詩人も青年も、お互いのために人として成長できたのではと思った。
彼を何とか助けたいと思った詩人は、お金を作るために職を探す。
これまで妻のために金を稼ごうという気持ちは起きなかったのに、青年のために、自分で働いて彼の生活を楽にさせてあげたいと思った。
そして、これまでなかなか書けなかった詩も精力的に書くようになった。
青年は青年で、詩人からの支援を受けて、ギャンブル好きの毒親の元を離れ都会で暮らす決心をする。
詩人は青年のために自力で金を稼ぎ、青年は詩人の妻と子供のために彼から離れる道を選択した。
その「相手を思いやる気持ち」が彼らを成長させた証である。
心の奥底では、詩人は青年と共に暮らし、側で成長を見守っていたかった。
しかし、青年は詩人のために、その生活を捨て、島を出る決意をした。
詩人の最後の夢を果たせなかったからこそ、青年は詩人の心の中で美しく生き続け、それが詩作に影響を与え、詩人としても独り立ちできるようになる。
悲しい恋の結末だったからこそ詩人として成長できたのではと思う。

それからしばらくたち、予定通り子供が産まれ、詩人として成功した彼だったが、詩を読みながら涙があふれてしまうのは、彼の心の中には、まだ青年が生きているから。
その後も、秘めた恋として彼の中で生き続ける。
済州島の美しい景色に、詩人の書いた詩がとても映える作品だった。
現代の私たちの生活は、毎日が時間に追われる日々だからこそ、詩の世界にひたってゆったりと世界を見つめてみると、今までとは違った景色が見えてくるというのは、ジム・ジャームッシュ監督の「パターソン」を思い起こさせた。
毎日が矢のように過ぎる毎日だからこそ、時にはアナログな一日を過ごしてみると、これまで見たこともない世界を知ることができるかもしれない。
意識的にデジタルオフの日をつくっても良いのかも。
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売れない詩人とドーナツ屋の青年の淡い恋を描く。
【満足度 評価】:★★★★☆
済州島の美しい景色を背景に、時には笑いながら、最後にはジーンとさせる素敵な作品だった。
『恋』とは、もう縁がないと思っていた時に突然訪れるものなのかもしれない。
そして、そんな『恋』は人を成長させる。
「詩人の恋」予告編 動画
(原題:시인의 사랑)キャスト&スタッフ
出演者
〇ヤン・イクチュン…(「フェイク~我は神なり」(声のみ)、「あゝ、荒野 前編」など)
〇チョン・ヘジン
…(「黄泉がえる復讐」、「名もなき野良犬の輪舞(ロンド)」、「王の運命(さだめ)歴史を変えた八日間」など)
〇チョン・カラム
監督・脚本
〇キム・ヤンヒ2017年製作 韓国映画

あらすじ
済州島で暮らす詩人(ヤン・イクチュン)は、本業の詩がなかなか書けず、収入がないため、地元の学校で詩の授業をしているものの、生活は妻(チョン・ヘジン)の収入に頼るという生活をしていた。
妻は子供を産むことを望んでいるが、なかなか子供ができないため不妊治療の検査を受ける。
そんな詩人が近所のドーナツ屋さんで働く青年(チョン・カラム)を一目見た時から、彼の美しさに魅入られてしまう…。

感想(ネタばれあり)
恋を知らない既婚者の詩人
恋にもいろいろある、人を破滅に追い詰める恋もあるし、恋に没頭してやる気を奪う恋もある。
そんな様々な形を見せる恋の中でも、人を輝かせたり、成長させたりする『良い恋』っていうのは、出会うべくして出会った恋だと思う。
しかし、そんな恋には、なかなか出会えない。
この映画「詩人の恋」の中で描かれるのは、売れない詩人が出会った「運命の恋」について。
これまで、パッとしない人生を送ってきた詩人が、これまで出会ったことのない『恋』を知ることで、人間として成長し、詩人としても一皮むけていく姿が描かれる。
詩人だけでなく、作家や歌手など、自分を表現することによってアートを生み出すアーティストたちにとって、どれだけ『恋』が作品に影響を及ぼすのかを感じるし、アーティストでなくても、人として成長できる『恋』っていうのは素晴らしいなぁと思った。
ヤン・イクチュン演じる主人公の詩人は、中年に差し掛かり、妻はいるけれどセックスレスな仲である。
自分で望んだ結婚というよりも、商売上手な妻には収入があるため、好きな詩を書いて生活できることに魅力を感じ、気の強い妻に押し切られた結婚だった。
だからといって、不仲というわけではないが、恋人というよりも、姉弟のような雰囲気に近い夫婦である。
そんな彼は、これまで本当の恋を知らなかったのである。
そんな妻が「子供が欲しい」と言い出したことで、詩人にとって妻とのセックスが苦痛であることを自覚することになった。
まるでレイプのようなセックスをしたにも関わらず、一向に子供ができるようすが無いので、産婦人科に行くと、詩人が無精子症であることが分かる。
それでも妻は子供を諦めず、詩人の数少ない精子を使って人工授精をすることになった。
詩人が『運命の恋』に出会ったのは、そんな妻の『子作り大作戦』に疲れてを感じていた時だった。

見た目はただの不良。中身は父を介護する優しい青年
出会いはドーナツ屋だった。
たまたま食べたドーナツが美味しくて、そのドーナツ屋に自分で買いに行った時、そのお店で働くアルバイトの青年を美しいと思った。
そして、何度も通ううちに「彼のことを知りたい」と思うようになる。
これは完全に『恋』である。
地元の不良たちと仲良くしている青年は、勉強嫌いで、一見ただのゴロツキに見えた。
しかし、彼の家は貧しく、病気の父親を自宅で介護していることを知ってしまう。
さらに、青年の母親は『花札』が好きで、収入があれば、すぐに『花札』に使ってしまう。
そのため、青年と母親の間では、父の介護について言い争いが絶えない。
詩人が彼の家を訪ねた時も、病気で寝たきりの父に「殺してくれ」と頼まれる有様だった。
そんな悲惨な家庭環境を表情に出さず、ひたむきに暮らす青年に対し、詩人は「なんでもしてあげたい」と思うようになる。
そして青年は、そんな詩人の優しさを利用するようになる。

「誰かのために」という思いやりが人を成長させる
とはいえ、青年は、表向き悪ぶっていながらも、影では病気の父親を献身的に介護しているような子なので、世話を焼こうとする詩人に完全に甘えることもできない。
なぜなら、詩人は結婚しているからだ。
青年は詩人の『親切を超えた愛情』を感じながらも、妻のことを思うと自制心が働いてしまう。
しかし、その妻の存在があったからこそ、詩人も青年も、お互いのために人として成長できたのではと思った。
彼を何とか助けたいと思った詩人は、お金を作るために職を探す。
これまで妻のために金を稼ごうという気持ちは起きなかったのに、青年のために、自分で働いて彼の生活を楽にさせてあげたいと思った。
そして、これまでなかなか書けなかった詩も精力的に書くようになった。
青年は青年で、詩人からの支援を受けて、ギャンブル好きの毒親の元を離れ都会で暮らす決心をする。
詩人は青年のために自力で金を稼ぎ、青年は詩人の妻と子供のために彼から離れる道を選択した。
その「相手を思いやる気持ち」が彼らを成長させた証である。
心の奥底では、詩人は青年と共に暮らし、側で成長を見守っていたかった。
しかし、青年は詩人のために、その生活を捨て、島を出る決意をした。
詩人の最後の夢を果たせなかったからこそ、青年は詩人の心の中で美しく生き続け、それが詩作に影響を与え、詩人としても独り立ちできるようになる。
悲しい恋の結末だったからこそ詩人として成長できたのではと思う。

離れていても、青年の美しさは詩人の心の中で生き続ける
それからしばらくたち、予定通り子供が産まれ、詩人として成功した彼だったが、詩を読みながら涙があふれてしまうのは、彼の心の中には、まだ青年が生きているから。
その後も、秘めた恋として彼の中で生き続ける。
済州島の美しい景色に、詩人の書いた詩がとても映える作品だった。
現代の私たちの生活は、毎日が時間に追われる日々だからこそ、詩の世界にひたってゆったりと世界を見つめてみると、今までとは違った景色が見えてくるというのは、ジム・ジャームッシュ監督の「パターソン」を思い起こさせた。
毎日が矢のように過ぎる毎日だからこそ、時にはアナログな一日を過ごしてみると、これまで見たこともない世界を知ることができるかもしれない。
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