ソン・ガンホ主演の韓国映画「王の運命(さだめ) 歴史を変えた八日間」をWOWOWで観た。
韓国・李王朝 第21代王・英祖(ヨンジョ)と、その息子『米びつ王子』思悼(サド)世子の物語。
【満足度 評価】:★★★★☆
そもそもサド世子の話には興味があったから余計に、面白かった。
ドラマや映画で観て良く知っているサド世子の物語も、切り口を変えて観ると、毎回新鮮な気持ちで観ることができる。
この映画は、韓国の歴史映画にありがちな、ドロドロとした政界の派閥闘争や陰謀を薄めにしているのが特徴で、息子を米びつに閉じ込めたことで歴史に名を残した父王ヨンジョと、悲劇の王子・サド世子との関係にスポットを当てて作られている。
王として生まれたために、息子を殺さなければならなかった父の苦悩が胸を打つ作品だった。
◆DVDで観る:「王の運命 -歴史を変えた八日間-」
◆ネット配信で観る:「王の運命-歴史を変えた八日間-」(字幕版)
…(「タクシー運転手 約束は海を越えて」、「観相師-かんそうし-」、「シュリ」、「殺人の追憶」、「スノーピアサー」など)
〇ユ・アイン
…(「バーニング 劇場版」、「カンチョリ オカンがくれた明日」など)
〇ムン・グニョン
〇キム・ヘスク
…(「黄泉がえる復讐」、「善惡の刃」、「トンネル 闇に鎖(とざ)された男」、「お嬢さん」、「ソウォン/願い」、「カンチョリ オカンがくれた明日」など)
…(「ソウォン/願い」など)
2015年製作 韓国映画

朝鮮第21代王・英祖(ヨンジョ)(ソン・ガンホ)は、息子である王子・サド世子(ユ・アイン)が謀反を起こしたことに対し、サド世子の母・暎嬪(ヨンビン)が「サド世子を懲らしめて欲しい」と願い出たため、「サド世子を米びつに閉じ込め、一切の水・食料を与えない」という命令を下す。
果たして、サド世子は本当に謀反を起こしたのか、それまでの間、英祖とサド世子の間に何があったのか…。

韓国のテレビドラマシリーズ「イ・サン」や、ヒョンビン主演の映画「王の涙 イ・サンの決断」などに代表されるように、李王朝イ・サンと、彼の父であるサド世子、サド世子の父英祖(ヨンジョ)王の話は、よく映画やドラマの題材になる。
それは、「英祖王が王子を米びつに閉じ込め、飢え死にさせた」という話があまりに強烈だからだろう。
そして、この話にはいつも、宮中を牛耳る派閥のドロドロがつきまとっている。
たいていのドラマや映画では、当時の李王朝には、老論(ノロン)派と少論(ソロン)派がいて、その派閥同士の抗争に王と王子が巻き込まれ、彼らの陰謀により『米びつの悲劇』が起きたという描かれ方をしてきた。
だから、今回も、その派閥闘争についての映画なんだろうなと思った。
しかし、そうではなかった。
日本人である私でさえ、「派閥闘争だな」と思うぐらいなのだから、韓国人からしたら、それは「もう聞き飽きた」話なんだろう。
派閥闘争については最低限に抑え、主に、父と息子、そして妻たちにスポットを当て、『ある王族に起きた悲劇』という側面から、この物語を描いている。
そして、そこから見えてくるのは、息子にさえも命を狙われるかもしれないと、日々怯え、誰も信用することなく王位に居座り続けた孤独な英祖(ヨンジョ)王の姿だった。

なぜ、英祖(ヨンジョ)王は、息子を信用せず孤立してしまったのか。
英祖が王になるまでに、李王朝では、それまでの王たちが親や兄弟を殺して王位を奪還してきたという歴史があり、英祖も、いつか自分がそんな目に遭うのではと内心怯えていた。
そのことについて、英祖はまだ若いサド世子に「王は息子を仇のように育てるものだ」と教えている。
英祖はサド世子が王位継承者になった時から、息子に対して疑心暗鬼の気持ちを持っていたということである。
そして、サド世子が英祖にとって『仇』となる瞬間がやってくる。
勉強家で優秀なサド世子を政務執行代理に任命した時のこと。
会議の場で、サド世子は日頃から英祖のブレーンとなってきた老論(ノロン)派の意見を拒否し、少論(ソロン)派の意見を支持。
その瞬間、英祖はサド世子に激怒し、息子を反乱分子として見るようになる。
英祖は、そもそも気が小さくて、常に「いつか殺される」と思い、ビクビクと怯えながら生きているような人間だった。
だから、サド世子が英祖の政治を批判したことは、英祖を余計にビクつかせることになった。
彼はよくあるタイプの気が小さい男だったのだ。

英祖王の政治を批判した時のサド世子の『生意気な態度』について、老論(ノロン)派の役人が王に直接批判の言葉を耳打ちしたことから、英祖がサド世子を怯える気持ちはエスカレートしていく。
また、2人の性格の違いも、彼らの間にある距離を引き離していった。
英祖は文字を書くのが得意で、サド世子のために、一冊の教科書を書き上げる程、文章で物事を考えるのが好きな論理派。
それに比べてサド世子は、絵を描いたり、音楽を楽しんだり踊ったりするのが好きな感覚派。
英祖から見たら、サド世子は「いつもフラフラして遊んでいる」ように見え、そのことが、ますます英祖をイラつかせることになった。
英祖は、ますますサド世子に辛くあたるようになり、サド世子は自分が正しい行いをしているのに、なぜ父に冷遇されているのか分からず、飲めない酒を飲むようになって、精神が崩壊していく。
彼らの様子を最も冷静に見ていたのは、正妻・側室の妻たちだ。
英祖の母である仁元王后(キム・ヘスク)は、英祖よりのサド世子の方が王の器だと見抜いていた人間だった。
気が小さく、サド世子を恐れていた英祖は王位から降りるべきと考えていたが、彼女のその想いは叶わない。
さらに、英祖が若い側室にメロメロになっていたことを嘆くが、英祖は母の言うことに耳を貸そうとしない。
その後、高齢の仁元王后が亡くなると、サド世子の強力な味方がどんどんいなくなってしまう。
英祖はサド世子に怯え、権力を振りかざし、サド世子は宮中で孤立してしまったことで追い詰められる。
そして、ついに、『サド世子の謀反』が起きるのだ。
この流れを考えると、『サド世子の謀反』は起きるべきして起きたことのような気がしてならない。
老論派も、少論派も、英祖も、妻たちも、全てがサド世子を追い詰める方向に動いていた。
英祖が、サド世子との会話で「これが運命(さだめ)だったのだ」と言ったのは、まさに、その通りである。
また、サド世子が刀を持って英祖の部屋に行った時、英祖がサド世子息子・サン(後のイ・サン)と共にいたことで、謀反未遂になったのも、運命だったように思う。

英祖王は謀反を企てたサド世子に対し、法的に処罰することなく、『母親が望んでいるので、懲らしめる意味で』米びつの中に閉じ込める。
もしも、法的に処罰した場合、妻や息子も追放しなければならないからだった。
それをせずに『懲らしめ』で済ませたのは、英祖が家族に見せた最低限の優しさだった。
この映画の原題は『サド』であり、英題は「Throne(王位)」である。
王位から降ろされることを怯え続けた英祖王の話と考えると、英題の方がピタリと来る。
愛すべき息子でさえも仇と考え、対立派閥にいる息子にいつか王位を降ろされると疑心暗鬼になり、息子を精神的に追い詰めていく父の姿。
息子と最後に言葉を交わすシーンでは、その時には、英祖自身も宮中の動きをコントロールすることができず、息子を犠牲にしてしまった思いが伝わってきて強く胸を打たれた。
結局、英祖は彼に歯向かう対立派閥に対する見せしめに、自らの息子を使ったのだ。
そして、それを冷静に見つめ、常に自分の息子の命だけはと願い続ける妻たちの様子。
宮中で暮らす王室一家の有様を観ていると、まるでギリシャ悲劇やシェークスピアの悲劇を観ているような気分になる。
誰もが知っている派閥闘争のトーンを極力落とし、家族の物語に集中して描いたのは、この映画をそういう「王家の悲劇」として描きたかったからだろうと思った。
王族に生まれなければ、もっと違う関係を築けたのに、互いに憎しみ合うまでになってしまったのは、全て「王位」を背負ったことによる運命(さだめ)である。
幼い頃に、そんな悲劇を目の当たりにしたイ・サンが、誰に頼ることなく、文武両道の賢人となり、後々、偉大なる王の1人と称えられるまでになったのは、とても皮肉な話である。
きっと、イ・サンは父と祖父の争いを見て、王位にしがみつくのは愚かなことだと学んだのだろうと思う。
★Twitterでも映画情報を発信しています~
↓ 人気ブログランキングに参加しています。クリックをお願いします

映画 ブログランキングへ

にほんブログ村
韓国・李王朝 第21代王・英祖(ヨンジョ)と、その息子『米びつ王子』思悼(サド)世子の物語。
【満足度 評価】:★★★★☆
そもそもサド世子の話には興味があったから余計に、面白かった。
ドラマや映画で観て良く知っているサド世子の物語も、切り口を変えて観ると、毎回新鮮な気持ちで観ることができる。
この映画は、韓国の歴史映画にありがちな、ドロドロとした政界の派閥闘争や陰謀を薄めにしているのが特徴で、息子を米びつに閉じ込めたことで歴史に名を残した父王ヨンジョと、悲劇の王子・サド世子との関係にスポットを当てて作られている。
王として生まれたために、息子を殺さなければならなかった父の苦悩が胸を打つ作品だった。
「王の運命(さだめ) 歴史を変えた八日間」予告編 動画
(原題:사도)◆DVDで観る:「王の運命 -歴史を変えた八日間-」
![]() |
新品価格 |

◆ネット配信で観る:「王の運命-歴史を変えた八日間-」(字幕版)
![]() |
新品価格 |

キャスト&スタッフ
出演者
〇ソン・ガンホ…(「タクシー運転手 約束は海を越えて」、「観相師-かんそうし-」、「シュリ」、「殺人の追憶」、「スノーピアサー」など)
〇ユ・アイン
…(「バーニング 劇場版」、「カンチョリ オカンがくれた明日」など)
〇ムン・グニョン
〇キム・ヘスク
…(「黄泉がえる復讐」、「善惡の刃」、「トンネル 闇に鎖(とざ)された男」、「お嬢さん」、「ソウォン/願い」、「カンチョリ オカンがくれた明日」など)
…(「Be With You~いま、会いにゆきます~」など)
監督
〇イ・ジュニク…(「ソウォン/願い」など)
2015年製作 韓国映画

あらすじ
朝鮮第21代王・英祖(ヨンジョ)(ソン・ガンホ)は、息子である王子・サド世子(ユ・アイン)が謀反を起こしたことに対し、サド世子の母・暎嬪(ヨンビン)が「サド世子を懲らしめて欲しい」と願い出たため、「サド世子を米びつに閉じ込め、一切の水・食料を与えない」という命令を下す。
果たして、サド世子は本当に謀反を起こしたのか、それまでの間、英祖とサド世子の間に何があったのか…。

感想(ネタバレあり)
王位につくことを運命づけられた父と息子の物語
韓国のテレビドラマシリーズ「イ・サン」や、ヒョンビン主演の映画「王の涙 イ・サンの決断」などに代表されるように、李王朝イ・サンと、彼の父であるサド世子、サド世子の父英祖(ヨンジョ)王の話は、よく映画やドラマの題材になる。
それは、「英祖王が王子を米びつに閉じ込め、飢え死にさせた」という話があまりに強烈だからだろう。
そして、この話にはいつも、宮中を牛耳る派閥のドロドロがつきまとっている。
たいていのドラマや映画では、当時の李王朝には、老論(ノロン)派と少論(ソロン)派がいて、その派閥同士の抗争に王と王子が巻き込まれ、彼らの陰謀により『米びつの悲劇』が起きたという描かれ方をしてきた。
だから、今回も、その派閥闘争についての映画なんだろうなと思った。
しかし、そうではなかった。
日本人である私でさえ、「派閥闘争だな」と思うぐらいなのだから、韓国人からしたら、それは「もう聞き飽きた」話なんだろう。
派閥闘争については最低限に抑え、主に、父と息子、そして妻たちにスポットを当て、『ある王族に起きた悲劇』という側面から、この物語を描いている。
そして、そこから見えてくるのは、息子にさえも命を狙われるかもしれないと、日々怯え、誰も信用することなく王位に居座り続けた孤独な英祖(ヨンジョ)王の姿だった。

息子の勢いに怯えて生きる英祖王
なぜ、英祖(ヨンジョ)王は、息子を信用せず孤立してしまったのか。
英祖が王になるまでに、李王朝では、それまでの王たちが親や兄弟を殺して王位を奪還してきたという歴史があり、英祖も、いつか自分がそんな目に遭うのではと内心怯えていた。
そのことについて、英祖はまだ若いサド世子に「王は息子を仇のように育てるものだ」と教えている。
英祖はサド世子が王位継承者になった時から、息子に対して疑心暗鬼の気持ちを持っていたということである。
そして、サド世子が英祖にとって『仇』となる瞬間がやってくる。
勉強家で優秀なサド世子を政務執行代理に任命した時のこと。
会議の場で、サド世子は日頃から英祖のブレーンとなってきた老論(ノロン)派の意見を拒否し、少論(ソロン)派の意見を支持。
その瞬間、英祖はサド世子に激怒し、息子を反乱分子として見るようになる。
英祖は、そもそも気が小さくて、常に「いつか殺される」と思い、ビクビクと怯えながら生きているような人間だった。
だから、サド世子が英祖の政治を批判したことは、英祖を余計にビクつかせることになった。
彼はよくあるタイプの気が小さい男だったのだ。

サド世子の謀反は起きるべきして起きたこと
英祖王の政治を批判した時のサド世子の『生意気な態度』について、老論(ノロン)派の役人が王に直接批判の言葉を耳打ちしたことから、英祖がサド世子を怯える気持ちはエスカレートしていく。
また、2人の性格の違いも、彼らの間にある距離を引き離していった。
英祖は文字を書くのが得意で、サド世子のために、一冊の教科書を書き上げる程、文章で物事を考えるのが好きな論理派。
それに比べてサド世子は、絵を描いたり、音楽を楽しんだり踊ったりするのが好きな感覚派。
英祖から見たら、サド世子は「いつもフラフラして遊んでいる」ように見え、そのことが、ますます英祖をイラつかせることになった。
英祖は、ますますサド世子に辛くあたるようになり、サド世子は自分が正しい行いをしているのに、なぜ父に冷遇されているのか分からず、飲めない酒を飲むようになって、精神が崩壊していく。
彼らの様子を最も冷静に見ていたのは、正妻・側室の妻たちだ。
英祖の母である仁元王后(キム・ヘスク)は、英祖よりのサド世子の方が王の器だと見抜いていた人間だった。
気が小さく、サド世子を恐れていた英祖は王位から降りるべきと考えていたが、彼女のその想いは叶わない。
さらに、英祖が若い側室にメロメロになっていたことを嘆くが、英祖は母の言うことに耳を貸そうとしない。
その後、高齢の仁元王后が亡くなると、サド世子の強力な味方がどんどんいなくなってしまう。
英祖はサド世子に怯え、権力を振りかざし、サド世子は宮中で孤立してしまったことで追い詰められる。
そして、ついに、『サド世子の謀反』が起きるのだ。
この流れを考えると、『サド世子の謀反』は起きるべきして起きたことのような気がしてならない。
老論派も、少論派も、英祖も、妻たちも、全てがサド世子を追い詰める方向に動いていた。
英祖が、サド世子との会話で「これが運命(さだめ)だったのだ」と言ったのは、まさに、その通りである。
また、サド世子が刀を持って英祖の部屋に行った時、英祖がサド世子息子・サン(後のイ・サン)と共にいたことで、謀反未遂になったのも、運命だったように思う。

対立派閥に対する見せしめに息子を使った父王の苦悩
英祖王は謀反を企てたサド世子に対し、法的に処罰することなく、『母親が望んでいるので、懲らしめる意味で』米びつの中に閉じ込める。
もしも、法的に処罰した場合、妻や息子も追放しなければならないからだった。
それをせずに『懲らしめ』で済ませたのは、英祖が家族に見せた最低限の優しさだった。
この映画の原題は『サド』であり、英題は「Throne(王位)」である。
王位から降ろされることを怯え続けた英祖王の話と考えると、英題の方がピタリと来る。
愛すべき息子でさえも仇と考え、対立派閥にいる息子にいつか王位を降ろされると疑心暗鬼になり、息子を精神的に追い詰めていく父の姿。
息子と最後に言葉を交わすシーンでは、その時には、英祖自身も宮中の動きをコントロールすることができず、息子を犠牲にしてしまった思いが伝わってきて強く胸を打たれた。
結局、英祖は彼に歯向かう対立派閥に対する見せしめに、自らの息子を使ったのだ。
そして、それを冷静に見つめ、常に自分の息子の命だけはと願い続ける妻たちの様子。
宮中で暮らす王室一家の有様を観ていると、まるでギリシャ悲劇やシェークスピアの悲劇を観ているような気分になる。
誰もが知っている派閥闘争のトーンを極力落とし、家族の物語に集中して描いたのは、この映画をそういう「王家の悲劇」として描きたかったからだろうと思った。
王族に生まれなければ、もっと違う関係を築けたのに、互いに憎しみ合うまでになってしまったのは、全て「王位」を背負ったことによる運命(さだめ)である。
幼い頃に、そんな悲劇を目の当たりにしたイ・サンが、誰に頼ることなく、文武両道の賢人となり、後々、偉大なる王の1人と称えられるまでになったのは、とても皮肉な話である。
きっと、イ・サンは父と祖父の争いを見て、王位にしがみつくのは愚かなことだと学んだのだろうと思う。
★Twitterでも映画情報を発信しています~
toe@とにかく映画が好きなんです@pharmacy_toe
『王の運命 歴史を変えた八日間』米びつ王子サド世子の悲しい物語を、宮中の派閥闘争に巻き込まれた親子の物語ではなく、父と息子の関係性を中心にスポットを当てたのが良かった。愛する息子を仇として育てなければならない父の孤独が胸を打つ https://t.co/4fcquEw68q
2017/09/10 00:06:50
↓ 人気ブログランキングに参加しています。クリックをお願いします

映画 ブログランキングへ

にほんブログ村







コメント