とにかく映画が好きなんです【本館】

とにかく映画が好きで、特にアメリカ映画大好きです このブログは、ネタバレありの映画鑑賞日記です。主にハリウッド映画と韓国映画をメインに感想を書いています


タグ:エリザベス・モス



ジョーダン・ピール監督の映画「アス」を映画館で観た。

海辺の別荘で夏休みを過ごす一家の目の前に、自分たちと瓜二つの家族が現れ、死闘を繰り広げるホラー映画。


満足度 評価】:★★★★☆

怖かった&面白かった!

ドッペルゲンガーに襲われる夏休み!

彼らは何者で、どこからやってきたのか。

人の命を粗末にしていると、いつか神から天罰が下るという世紀末を感じた。そして助かりたいなら、まずは自分を殺せという試練が恐ろしい。

目次

  1. 予告編
  2. 更新履歴・販売情報
  3. キャスト&スタッフ
     出演者
     監督
  4. あらすじ
  5. 感想


『アス』予告編 動画

(原題:Us)



更新履歴・公開、販売情報

・2019年9月7日 映画館にて鑑賞。

・2019年9月30日 感想を掲載。

現在、全国順次公開中。詳しい劇場情報につきましては、下記の公式サイトをご参照ください。
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キャスト&スタッフ


出演者

…(「ジャングル・ブック」(声の出演)など)

〇ウィンストン・デューク


〇ティム・ハイデッカー

〇シャハディ・ライト・ジョセフ

〇エバン・アレックス

〇カリ・シェルドン

〇ノエル・シェルドン


監督

ジョーダン・ピール
…(「ゲット・アウト」)


2019年製作 アメリカ映画



映画「アス」



あらすじ


夫のゲイブ(ウィンストン・デューク)、娘のゾーラ(シャハディ・ライト・ジョセフ)、息子のジェイソン(エバン・アレックス)と共に夏休みを過ごすために、生まれ故郷のカリフォルニア州サンタクルーズの別荘へやってきたアデレード(ルピタ・ニョンゴ)だったが、ビーチへ行くと、幼い頃の恐怖体験がフラッシュバックするようになってしまう…。

そして、その日の夜、アデレード一家の目の前に、彼らと瓜二つの一家が現れる。

その一家が誰で、何のために目の前に現れたのか分からないまま、アデレードたちは瓜二つの一家に襲われてしまい…。



映画「アス」ドッペルゲンガー




感想(ネタばれあり)


ドッペルゲンガーに襲われる夏休み


ビーチの近くにある別荘で楽しい夏休みを過ごすはずが、ドッペルゲンガーに襲われることになってしまった一家の物語。



ドッペルゲンガーとは、自分と全く瓜二つの人間のこと。

その昔、ドッペルゲンガーは死の前兆とされていたらしい。



アデレードたち一家の目の前に、ドッペルゲンガー一家が現れるが、彼らは何者で、一体何のために現れたの分からないまま襲われてしまう。



多くの人は「未知のことや人」に対して恐怖心を抱く。

それは例えば宇宙人だったり、幽霊だったり。

昔の日本人の多くが、黒船に乗ってやってきた外国人たちに恐怖心を抱いたのは、見たことがない人種だったから。



それを思うと、アデレード一家にとって、「見たことのない瓜二つの自分たち」を見ただけで恐怖心を抱くのは当然だ。

それは、彼らは一体何者で、どこから、何のためにやってきたのかが一切分からない、未知の存在だからだ。

(ただ一人、アデレードは違うことで恐怖を感じていたことが後々わかるけれど)



しかも、その分身たちはアデレードの分身のレッド以外、ろくに言葉も話さず、無表情で襲ってくる。

そのため、彼らはその分身たちと戦わなければならなくなった。



そこで、彼らには乗り越えるべき壁がやって来る。

もしも、目の前に自分と瓜二つの人間がいて、まるで鏡を見ているような時、その自分と瓜二つの人間を殺すことができるだろうか

そんな複雑な状況を考えるだけで、恐ろしくなるが、しばらく経って、彼らが恐怖の存在でしかないと分かった彼らは死闘を繰り広げ始める。



その上、彼らはめちゃくちゃ攻撃的で、お構いないしに襲ってくる。

薄気味悪い上に強い彼らは、それだけで恐ろしかった。



映画「アス」ルピタ・ニョンゴ



広大な地下で何が行われているのか…


それでは、彼らは一体何者なのか。



物語の後半、彼らは政府が地下で作っていたクローン人間だということが分かる。

技術が発達し、実験的に全く同じ人間を作りだすことに成功したが、その計画が途中で頓挫し、作った人間を地下に放置してしまう。



ところが、アデレードの分身は、幼い頃に地上で暮らすアデレードとの接触に成功し、本人とすり替わって、地上でアデレードとして暮らし始める。

そのため、地下で暮らすことになったアデレードは、自分の生活を取り戻すため、彼ら一家がサンタクルーズに戻ってくるのを首を長くして待っていた。

そして、アデレード一家が反逆したことをきっかけに、地下のクローンたちの逆襲が始まる。



まず、この映画が観客に対して投げかる疑問は「広大な地下で政府は何をしているのか誰も知らない」という謎だった。

そこで、「もしも、そこでクローンを作っていたら」という仮説を立てたのが、この映画の始まりだ。



ものごとには、何事にも表と裏、陰と陽がある。

私たちが知らないうちに、地下には知らない世界(裏・陰)が生まれていて、もしも、その世界が反逆を起こしたら。



果たして、私たちは政府が行っていることの全てを把握しているのだろうか…。

もしかして、私たちが知っているのは表側の日の当たる部分だけかもしれない…。

その地下でのできごとは、目の前にあることを当たり前と思わず、まず、疑うことも必要なのではないか…と問いかけている



映画「アス」エリザベス・モス



エレミヤ書とウサギが象徴する、政府の無策と人口増加


そして、アデレードがクローンたちと近づく時にキリストもどきのホームレスが掲げているのが、聖書の「エレミヤ書 第11章 11節」だ。

このエレミヤ書は、人類の破滅を示す預言書だ。

だから、彼らに災いを下す。それから逃げることはできない。あわれみを叫び求めても、わたしは耳を貸さない。



クローンを作って人を大量に増やしたことに対して、神を怒らせてしまい、神は人類に災いをくだす。

そのため、人類は自ら作ったクローン人間から襲われることになるのだが、神はそのことに対して、人類を救うことはないだろうと、この書は預言している。



そして、もう一つの象徴が「ウサギ」だ。

地下に大量に飼われているウサギが登場する。

ウサギは、多産で知られている動物であり、繁栄の象徴とされている。



そのウサギが象徴するは、世界的に進む人口爆発だ。



それでは、地下で増え続ける人々と、そのウサギは、何を訴えているのだろうか。



映画「アス」ルピタ・ニョンゴ2



命を軽視した政策は、いつしか国民を破滅に追い込む…


その地下組織は「現政府は国民に内緒でクローンを作っている」と告発しているものではない。

そうではなく、「政策の途中で放棄する政府の無策」を訴えているのだ。



それは例えば、「奴隷にするためにアフリカから運んできた黒人たち」について、連れてきたっきり放置したことだ。

その後、黒人たちが反発し奴隷解放を訴えると、それを政府は暴力で抑え込もうとする。

元々、連れてきたのは政府なのに。



そして、「自由な国」をアピールするアメリカは、移民歓迎を政策の一つとして掲げていた。

しかし、ウサギのごとく人口が増えていき、経済的に苦しくなってくると「移民は出て行け」と言い始める。



そこで、この映画では、「移民は出て行け」という政策に同意する上流階級の人たちの対して、「そんなことを言うのなら、まず自分を殺せ!」と言わんばかりに、彼らの目の前にドッペルゲンガーを登場させるのだ。

つまり、政府の無策で増えた移民たちのことは、上流階級の人たちにとっては「他人事」であり、自分たちの平和な生活を維持するためにも、出て行って当然だと思っている。

そこで、政府の無策で増えた人口をドッペルゲンガーとして登場させれば、「自分事」として考えるのではと思ったのではないか。



彼らは、瓜二つの自分に戸惑い、躊躇してしまう。

そして、上流階級の白人一家は、躊躇している間に殺されてしまうのだ。



ラストシーンでは、クローン人間たちが手をつないで壁になった先で、戦争のような争いが起きている場面で終わっている。

クローンを作ったのは政府なのに、反乱が起きると、またしても暴力でそれを抑え込もうとするのか。

そして、自分たちが守ってきた国で戦争が起きるまでになってしまうのだ。



つまり、国境に壁を作って貧しい人たちを追い出すような、人の命を軽視した政策を続けていると、いつしか神の怒りをかい、天罰がくだると、この映画は預言しているのだ。

現在、実際にアメリカの各地でテロ活動が増え続け、神は彼らを救おうとしない。



そして、移民たちが結束してテロを起こしたら、殺し合いになり、アメリカは破滅へ向かうだろう…と、この映画は預言しているのだ。



観る前は、死ぬか、生きるかのホラー映画なのかと思っていたら、とても情報量が多くて、「これは何を象徴しているんだろう…」と考えるのがとても面白い映画だった。

とはいえ、もう一度観てみたら、全く違う感想を持つかもしれない…そんな多面的な魅力のある作品だった。





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「ザ・スクエア 思いやりの聖域」の試写会に行ってきた。

ある美術館を舞台に、芸術家たちが創り出すアートと、そこに込められた理想と現実との落差をあぶり出す。


満足度 評価】:★★★★☆

面白かった!

現代では作品を発表し、それが批判されて炎上してこそビジネスになるし「差別なき思いやりの領域」こそが差別ある現実を表している。

そのアート界が目指す理想と現実社会の落差の激しさが心に刺さった。


目次

  1. 予告編
  2. 更新履歴・販売情報
  3. キャスト&スタッフ
     出演者
     監督
  4. あらすじ
  5. 感想


「ザ・スクエア 思いやりの聖域」予告編 動画

(原題:The Square)



更新履歴・公開、販売情報

・2018年4月9日 試写会で観た感想を掲載。

・2019年5月23日 WOWOWでの放送に合わせて加筆・修正。

現在、DVD、ネット配信、共に販売中。


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DVDで観る:「ザ・スクエア 思いやりの聖域」

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オリジナルサウンドトラック「The Square」

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キャスト&スタッフ


出演者

〇クレス・バング

エリザベス・モス
…(「チャック~”ロッキー”になった男~」など)

〇ドミニク・ウェスト

〇テリー・ノタリー

監督

〇リューベン・オストルンド


2017年製作 スウェーデン、ドイツ、フランス、デンマーク合作映画



映画「ザ・スクエア 思いやりの聖域」



あらすじ


スウェーデン コペンハーゲンの X-ロイヤル美術館。

キュレーターのクリスティアン(クレス・バング)が、次回展示する作品は「ザ・スクエア」

それは、床に描かれた一つの正方形であり、その正方形は「人はみな平等であり、互いに助け合う思いやりの領域です」という説明が書かれている。

そして、ちょうどその頃、クリスティアンは人助けをしている間に、携帯と財布を盗まれてしまい…。



映画「ザ・スクエア 思いやりの聖域」



感想(ネタバレあり)


現代アートを理解している自分はカッコイイ思ってしまう人間の悲しい習性


現代アートっていうのは「意味がわからないことを素晴らしいというアート」だと思っている。

たとえば、バスキアの絵は「その辺の少年が壁に描いた落書き」と言われれば「あぁそうかも」と思ってしまうし、ポロックだって誰かがカンバスにペンキをこぼし、それを学芸員の人が「これはポロックなんだよ」と言えば、「おぉ~そうなのかーーー!!」と思ってしまう。

 ↓ これがバスキア
バスキア



 ↓ これはポロック
ポロック



人は、自分が「意識高い系の人間、もしくはIQが高い人間」だと見せるために、たとえば国立近代美術館のような立派なところが「これが最先端の前衛アートだ」と言って紹介した作品を、「いかにも理解しています」風に見栄を張ってしまうという悲しい習性を持つ



この映画の舞台はスウェーデンのコペンハーゲンにあるX-ロイヤル美術館。

つまり、スウェーデンの由緒正しき王立美術館である。

主人公は、その美術館でキュレーターをしているクリスティアンである。



その彼が展示する新作が「ザ・スクエア」である。

それは地面に正方形を描いただけのものであり、「その正方形の中では、誰もが平等であり、互いに助け合わなければならない思いやりの聖域」という説明書きがある



それは現代の格差社会に問題を提起する作品だとして、多くの人を呼び込もうと考えた。

そこで、クリスティアンは広告代理店と共に「どのように宣伝するか」を考えていくのだが、それが思わぬ波紋を呼ぶことになってしまう。



クリスティアンとしては、美術館を訪れた人々にそこで立ち止まってもらい「格差社会」について考える時間を作り出す「アート」だと考えた。

しかし、広告代理店の人たちは「強烈なインパクトがないと人の目には止まらない」と考えたのだ。

その両者の意見の違いをちゃんと摺り寄せなかった結果、後に悲劇(クリスティアンからすれば)(いや、喜劇か(ブラックユーモア)?それともハッピーエンドか(金儲け)?)が起きてしまう…。



映画「ザ・スクエア 思いやりの聖域」


クリスティアンの潜在意識の中にある差別意識


そのアート作品「ザ・スクエア」こそが、スウェーデンのみならず、ヨーロッパの現状を表しているものだった。



私がそのアート作品「ザ・スクエア」を観た感想は、「こんな小さな領域でしか平等が得られないなんて」だった。

日常生活を普通に過ごしていて、「みんなが平等」なのも、「互いに助け合う」のも「当たり前のこと」じゃないか。

むしろ、そんな「平等にするための領域」などいらないはず

しかし、そう思えるのも、それは日本が単一民族で暮らす平和な国だからなのかもしれない。



ヨーロッパでは「平等が当たり前ではない」のだ。

私の中で印象的だったシーンの一つは、クリスティアンが子供たちとモールへ行った場面だ。

彼がベンチに座って電話をしている間に、子供たちを見失ってしまう。

探しに行きたいけれど、荷物があって探しに行けない。



そこで、彼はそばにいたホームレスの男性を「利用する」。

「ちょっと来て」と言って、金も渡さず、「子供を探してくるから、荷物を観ていてくれ」と言う。

はじめは、そのホームレスの男性が「めぐんでくれ」と言ってクリスティアンに声をかけた時には、無視をしたにも関わらず

クリスティアンにとって、ホームレスの男性は「自分の都合で勝手に使ってもいい人」なのである。



そして、心に切なさを残すのは、クリスティアンの「財布とスマホを奪った」という少年。

彼のスマホが「貧しい人たちが暮らすアパートにあるから」という理由で、上から目線で書いた広告をそのアパートにばらまき、「なぜ持っているか」の理由を聞かずに、少年を勝手に「泥棒」呼ばわりし、彼の家を訪ねてきた少年が階段から落ちても助けようともしない。



そのクリスティアンのホームレスの男性と、貧しい暮らしをする少年(移民)に対する態度は共通している。



彼は、自分が展示する作品の中で「平等・助け合い・思いやり」をうたっておきながら、明らかに彼の潜在意識の中には「階級意識」があって、「とても自然に」態度を表に出てしまっているのだ。

いくら表面的には「差別はいけない」と言い、その思いをアートで表現しようとしたって、潜在意識の中に眠る「差別意識」までは変えられないのだ。

彼の中にある「ザ・スクエア」は、とても小さく狭いものだったのだ。

このクリスティアンこそが、ヨーロッパの「格差社会」を表しているキャラクターなのだ。



彼らにとっては「差別のない領域」こそが「理想郷を表すアート」であり、それを「なんて素晴らしい」「差別があってはいけない」と言いながらも、現実には、はっきりとした「境界と階級格差」があるのだ。

所詮、アートはアートでしかなく、現実の世界はその理想とかけ離れているのだ。

なんとも、皮肉な話ではないか。



映画「ザ・スクエア 思いやりの聖域」


イマドキの宣伝は「炎上商法」「ノイズ・マーケティング」で


その美術館に展示する作品「ザ・スクエア」を宣伝するため、広告を代理店に依頼したら、アップされた動画がまた強烈だった。

「白人」で「金髪」で「ホームレス」の女の子を使っているところは、明らかに、ターゲットが「上流社会の人たち」を想定している



「モンキーマン」が登場した晩餐会でもわかる通り、この美術館を支えているのが、その「上流階級の人たち」であり、彼らの心に刺さる動画を作ってこそ、この美術館は潤うのだ。

そこで、彼らは「その領域の中では、そういうかわいそうな子もいなくなる」ことを示すために、「ちょっと刺激的な」動画を作ってアップしたのだが、これが見事に炎上する。



広告代理店が見ている先はあくまでも「ターゲットの人たち」であって、「貧しい人たち」や「非白人の人たち」に対する配慮が全くない

「思いやりの領域」を宣伝するはずが、全く思いやりのない広告ができてしまったのだ。

もう、これは笑うしかない。



しかし、「注目を集めることが仕事」の広告代理店にとっては、動画を作って炎上させるまでが彼らのパフォーマンスであり、どの新聞にも大きくスペースを割いて批判記事が出たことは、ある意味、大成功だったと言える。

その記事と同じだけの大きさの新聞広告を載せるには、相当な予算を割かなければならない。

たとえ、その動画が「最低な倫理観」を持ったものだったとしても、「このアートは、一体何だ」「観に行って批判してやる」と思った人がいれば、それで大成功なのである。




これこそが、日本でも良くあるタイプの「炎上商法」「ノイズ・マーケティング」なのであり、ここには現代社会の問題点に対するブラックユーモアがたっぷりと込められている



映画「ザ・スクエア 思いやりの聖域」


観客の潜在意識の中に眠る「差別意識」に問いかける


「意識高い系」の人たちにとって、現代社会を批判するような「現代アート」には、そこに込められた真意がたとえよくわかっていなくても「『いいね』と言ったらかっこいい」ような雰囲気がある

「バスキアとポロックが好きな私ってかっこいい」みたいな。



この映画ではそんなアートな人たちが、「ザ・スクエア」という作品を通して、「差別ない世の中」を訴える。



しかし、「差別しない領域」をアートにすること自体が差別であり、その異常さに誰も気づいていない

なぜなら、そこで働く彼らも裕福な暮らしをし、ホームレスや移民に対して壁をつくり、当たり前のように上から目線で話しかけ、彼らがけがをしても助けようともしない。



それでは、「芸術」とは一体なんのためにあるのか

自分を「意識高い系に見せる」ための自己満足なのではないか



クリスチャンは最後に少年に対する態度を変え「君を泥棒扱いしてしまい申し訳なかった。これは『富の再分配』だ」と言うのだが、「上から目線」の姿勢は何一つ変わっていない

どんなにつらい思いをして、人の痛みが分かったようでも、実際には姿勢が変わってなく、人々の心の中にある「ザ・スクエア」の大きさを変えることは無理なのではと思った。



しかし、私だって、映画を観て「差別はいけない」と分かっていても、実際に差別を全くしない行動をしているのかと聞かれれば「100%そうだ」と言う自信はない。

クリスティアンの言動は、クリスティアンだけのものではない。

きっと、誰の心の中にもクリスティアンはいるのだ。

この映画は、そんな人それぞれの心の奥底に眠る「差別意識」に「あなたは大丈夫ですか」と問いかける作品なのだ。



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リーヴ・シュレイバー主演の映画「チャック~“ロッキー”になった男~」をWOWOWで観た。

映画「ロッキー」のモデルとなったボクサー チャック・ウェプナーの実話を映画化。

劇場未公開の作品をどこよりも早く放映する「WOWOWジャンパンプレミア」のうちの一本。


満足度 評価】:★★★☆☆

「ロッキー」のモデルになったと言われると、とても華やかな印象を受けるけれど、実際のチャックはとても荒んだ生活を送っていて、その姿は映画の中の「ロッキー」とは、明と暗ほどに違った人生を送っていたのがとても印象的だった。

やはり、映画のような人生は理想でしかないのか。


「チャック~”ロッキー”になった男~」予告編 動画(日本語字幕なし)

(原題:The Bleeder(Chuck))




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キャスト&スタッフ


出演者

リーヴ・シュレイバー
…(「スパイダーマン:スパイダーバース」(声の出演)、「犬ヶ島」、「スポットライト 世紀のスクープ」、「ディファイアンス」「ジゴロ・イン・ニューヨーク」「フィフス・ウェイブ」「ソルト」など)

エリザベス・モス
…(「ザ・スクエア 思いやりの聖域」など)

ナオミ・ワッツ
…(「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」「ヴィンセントが教えてくれたこと」、「追憶の森」、「ヤング・アダルト・ニューヨーク」、「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」、「21g」、「キング・コング」)

ロン・パールマン
…(「ポーカーナイト 監禁脱出」など)

〇マイケル・ラパポート


監督

フィリップ・ファラルドー
…(「グッド・ライ~一番優しい嘘~」など)



2016年製作 アメリカ映画



チャック_ロッキーになった男



あらすじ


ヘビー級のボクサー チャック・ウェプナー(リーヴ・シュレイバー)は、ある日世界チャンピオンになったモハメッド・アリから「防衛戦の相手」として指名される。

モハメッド・アリは白人の対戦相手を探していて、その当時はチャックが白人の中で一番上位にいたのだ。

喜んでその指名を受けたチャックは「すぐにKOされる」という大方の予想を裏切り、15R戦い抜き惜しくもTKOで負けてしまう。

しかし、チャックが最後まで戦い抜いたという健闘は話題になり、ハリウッドのシルベスター・スタローンがチャックをモデルに脚本を書いたと言われ…。



チャック_ロッキーになった男5



感想(ネタバレあり)


モハメッド・アリと対戦し、一躍、時の人となったチャック・ウェプナー



映画「ロッキー」が製作されたのは1976年

私が一番最初に見たのは中学生ぐらいだったと思う。

リアルタイムで観た記憶はなく、テレビで放送していたのか、レンタルビデオで借りてきたのかだったと思う。



試合を終えたロッキーのあの有名な「エイドリアーーーン!」のセリフに感動し、私もエイドリアンのように「誰かを支える人になりたい」と中学生の私は思ったものだった。

しかし、理想と現実はかけ離れたもので、大人になった私はエイドリアンとは程遠い生活をしている(笑)



その「ロッキー」には、モデルとなった人がいたという。

それは、この映画を観て初めて知った。

もしくは、そう聞いたことがあるかもしれないけど、忘れてしまっただけかもしれない。



そのモデルとなった人物は、チャック・ウェプナー

彼はベビー級のボクサーである。



それほど有名な選手ではなかったのだが、ある時、世界チャンピオンになったモハメド・アリから「対戦相手に」とオファーがくる

モハメド・アリはチャンピオン防衛戦として、白人のボクサーを考えていた

その中で、チャックは当時白人の中でランキングトップにいたため、アリからオファーを受けることになったのだ。



チャックは、そのオファーを受けた時「どうせ、すぐにKOされる」と言われながら、第9Rではダウンを奪い、15Rフルで戦うも、TKOで負けてしまう

しかし、最後まで戦い抜いたことが高く評価されて話題になり、その試合をテレビで観ていたスタローンが「ロッキー」という脚本を書く

当時、チャックはボクシングだけでは妻子を養うことができないので、酒造メーカーの営業をしながらの生活だった。

そして、スタローンも当時は無名の俳優で、映画のオーディションを受けるも落ちまくる日々だったことから、チャックの姿に時分を重ね合わせ、脚本を書き上げたのだという。

(詳しくは → Wikipedia「ロッキー(映画)」



チャック_ロッキーになった男4


「ロッキー」とは真逆の人生をたどるチャック



無名の俳優だったスタローンが主演だったにも関わらず、「ロッキー」は大ヒット。

作品の評価も高く、アカデミー賞 作品賞、監督賞を受賞する。

スタローンはその成功によりスターの仲間入りを果たし、現在に至る



その「ロッキー」の成功により、チャックもまた注目を浴びる

パーティ三昧に明け暮れ、家族とも疎遠になった末、ドラッグに手を出してしまう。

ボクシングからも遠ざかり、クマと対戦するような「見世物」へとなり下がる。



その時、意外にもチャックに手を差し伸べたのはスタローンだった

「ロッキー」によって成功したスタローンは、チャックに「ロッキー2」に出演して欲しいとオファーする。

ところが、チャック本人がオーディションに大幅に遅刻し、ろくに演技もできず、スタローンからのサポートがあったにもかかわらず、その話はご破算になってしまう。



残念ながら、チャックは「ロッキー」によってつかんだ栄光とチャンスを「ドラッグ」によって簡単に手放してしまったのである。

そして、警察のおとり捜査に引っかかったチャックは、ドラッグディーラーとして逮捕され、刑務所に入れられてしまう。



ハリウッド映画に描かれている「ロッキー」は、世界チャンピオンのアポロと戦ったことで栄光の階段を上り始めるが、そのモデルのチャックは、真逆の人生をたどり、そこから転落していったのだった。



チャック_ロッキーになった男3


転落のきっかけは自分自身を見失ったこと



チャックも決してチャンスがなかったわけでない

「モハメド・アリからダウンを取った」ことに自信を持って練習に励めば、ボクサーとしてさらに活躍できるチャンスが広がったかもしれない。

スタローンだって、それまで面識がなかったチャックをハリウッドに呼んでオーディションまでセッティングしている。

(この映画を観ていると、スタローンはすごくいい人だとわかる)



それらのチャンスを失ってしまったのは「自分はスターだ」という過信からだった。

確かに、「ロッキー」が大ヒットした時は多くの人たちがチャックに注目して、みんなが「チャックは実はすごいボクサーだった」んだと思った。

けれど、そうやってチヤホヤされているうちに、自分を見失ってしまう

自分がボクサーであることを忘れ、家族がいることすら忘れてしまう。



チャックから大切なものを奪っていったのは「ドラッグ」だった

「ドラッグ」をやめることができない意志の弱さが、チャックの人生を転落させていった。



そんなチャックの目を覚ませる唯一の存在が、ナオミ・ワッツ演じるリンダだった。

彼女はチャックをスター扱いせず、チャックのダメなところも見抜いていた。

そんな彼女に会って、ようやくドラッグをやめようと思った矢先に逮捕されてしまったのだ。



チャックにとってのエイドリアンは妻のフィルではなく、リンダだったと思う。

そうして、ボクシングも家族も栄光もすべて失ってしまったチャックは、リンダと新しい人生を歩み始めるのだ。



チャック_ロッキーになった男2


「運命の瞬間」を確実に次につなげていくために



映画には、たくさんの夢がつまっている

そこに描かれる様々な人生を見ながら、「あんな風になれたらいいな」とか、「あんな人生を送りたいな」と思い、明日への糧にし、再び前を向いて歩き始める。

だから、私は明日の自分のために毎日のように映画を観るのだ。



しかし、現実は映画のようにはうまくいかないものなのだ。

順風満帆に成功できる人などいない

時には足をふみはずし、間違いを起こし、失敗しながら前へと進む。



この映画のチャックと映画の中のロッキーとの違いを見れば、その理想と現実の違いがよくわかる

世界チャンピオンと戦って、彼の強い思いが国民に勇気を与えたところまではロッキーもチャックも一緒だった。

しかし、そこから成功するか転落するかの分岐点にあったのは「本人の意志の弱さ」だった。

「ドラッグをちょっと試してみたかった」という気のゆるみが、2回、3回と続いてしまう。



その「弱さ」が、のちのち全てを失ってしまうことになる。



そのチャックの挫折から私たちが学ぶべきことは、目の前にあることを一つずつ誠意を持って全力でこなすということ。

仕事にしても、家族や周りの人たちに対しても。

目の前にあることに誠意を失った瞬間、全てが壊れ去ってしまう。



チャックとは対照的に「ロッキー」の成功で大スターの仲間入りをし、いまだにスタローンが現役でいられるのは、その「誠実さ」にあったように思う。

「ロッキー」の成功を自分だけのものと思わず、チャックにも声をかけ、「ロッキー2」に出演して欲しいと言い、チャックが刑務所に入ったと聞くと、「ロック・アップ」の役作りと称して刑務所を訪問する。

もしも、「スター」という名声におぼれ目の前にあることに誠意を失っていたら、チャックを気にかけるようなことはしないだろうし、今の成功もなかったかもしれない。



「モハメッド・アリ VS チャック・ウェプナー」の一戦の日から、共に底辺でくすぶっていたスタローンとチャックの人生が動き出し、彼らの明暗を分けたというところに、この映画の面白さがあったと思う。

これはきっと、チャックだけの話ではなく、誰もがその「運命の瞬間」を持っていて、「そこからどう動くのか」が明暗を分けるのだと感じた。

常日頃から、周りの人たちに誠実に行動することが、成功の秘訣だと思った。



↓ Instagramでも映画のレビューを書いています(ときには映画以外の話もあります)







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