「ザ・スクエア 思いやりの聖域」の試写会に行ってきた。

ある美術館を舞台に、芸術家たちが創り出すアートと、そこに込められた理想と現実との落差をあぶり出す。


満足度 評価】:★★★★☆

面白かった!

現代では作品を発表し、それが批判されて炎上してこそビジネスになるし「差別なき思いやりの領域」こそが差別ある現実を表している。

そのアート界が目指す理想と現実社会の落差の激しさが心に刺さった。


目次

  1. 予告編
  2. 更新履歴・販売情報
  3. キャスト&スタッフ
     出演者
     監督
  4. あらすじ
  5. 感想


「ザ・スクエア 思いやりの聖域」予告編 動画

(原題:The Square)



更新履歴・公開、販売情報

・2018年4月9日 試写会で観た感想を掲載。

・2019年5月23日 WOWOWでの放送に合わせて加筆・修正。

現在、DVD、ネット配信、共に販売中。


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キャスト&スタッフ


出演者

〇クレス・バング

エリザベス・モス
…(「チャック~”ロッキー”になった男~」など)

〇ドミニク・ウェスト

〇テリー・ノタリー

監督

〇リューベン・オストルンド


2017年製作 スウェーデン、ドイツ、フランス、デンマーク合作映画



映画「ザ・スクエア 思いやりの聖域」



あらすじ


スウェーデン コペンハーゲンの X-ロイヤル美術館。

キュレーターのクリスティアン(クレス・バング)が、次回展示する作品は「ザ・スクエア」

それは、床に描かれた一つの正方形であり、その正方形は「人はみな平等であり、互いに助け合う思いやりの領域です」という説明が書かれている。

そして、ちょうどその頃、クリスティアンは人助けをしている間に、携帯と財布を盗まれてしまい…。



映画「ザ・スクエア 思いやりの聖域」



感想(ネタバレあり)


現代アートを理解している自分はカッコイイ思ってしまう人間の悲しい習性


現代アートっていうのは「意味がわからないことを素晴らしいというアート」だと思っている。

たとえば、バスキアの絵は「その辺の少年が壁に描いた落書き」と言われれば「あぁそうかも」と思ってしまうし、ポロックだって誰かがカンバスにペンキをこぼし、それを学芸員の人が「これはポロックなんだよ」と言えば、「おぉ~そうなのかーーー!!」と思ってしまう。

 ↓ これがバスキア
バスキア



 ↓ これはポロック
ポロック



人は、自分が「意識高い系の人間、もしくはIQが高い人間」だと見せるために、たとえば国立近代美術館のような立派なところが「これが最先端の前衛アートだ」と言って紹介した作品を、「いかにも理解しています」風に見栄を張ってしまうという悲しい習性を持つ



この映画の舞台はスウェーデンのコペンハーゲンにあるX-ロイヤル美術館。

つまり、スウェーデンの由緒正しき王立美術館である。

主人公は、その美術館でキュレーターをしているクリスティアンである。



その彼が展示する新作が「ザ・スクエア」である。

それは地面に正方形を描いただけのものであり、「その正方形の中では、誰もが平等であり、互いに助け合わなければならない思いやりの聖域」という説明書きがある



それは現代の格差社会に問題を提起する作品だとして、多くの人を呼び込もうと考えた。

そこで、クリスティアンは広告代理店と共に「どのように宣伝するか」を考えていくのだが、それが思わぬ波紋を呼ぶことになってしまう。



クリスティアンとしては、美術館を訪れた人々にそこで立ち止まってもらい「格差社会」について考える時間を作り出す「アート」だと考えた。

しかし、広告代理店の人たちは「強烈なインパクトがないと人の目には止まらない」と考えたのだ。

その両者の意見の違いをちゃんと摺り寄せなかった結果、後に悲劇(クリスティアンからすれば)(いや、喜劇か(ブラックユーモア)?それともハッピーエンドか(金儲け)?)が起きてしまう…。



映画「ザ・スクエア 思いやりの聖域」


クリスティアンの潜在意識の中にある差別意識


そのアート作品「ザ・スクエア」こそが、スウェーデンのみならず、ヨーロッパの現状を表しているものだった。



私がそのアート作品「ザ・スクエア」を観た感想は、「こんな小さな領域でしか平等が得られないなんて」だった。

日常生活を普通に過ごしていて、「みんなが平等」なのも、「互いに助け合う」のも「当たり前のこと」じゃないか。

むしろ、そんな「平等にするための領域」などいらないはず

しかし、そう思えるのも、それは日本が単一民族で暮らす平和な国だからなのかもしれない。



ヨーロッパでは「平等が当たり前ではない」のだ。

私の中で印象的だったシーンの一つは、クリスティアンが子供たちとモールへ行った場面だ。

彼がベンチに座って電話をしている間に、子供たちを見失ってしまう。

探しに行きたいけれど、荷物があって探しに行けない。



そこで、彼はそばにいたホームレスの男性を「利用する」。

「ちょっと来て」と言って、金も渡さず、「子供を探してくるから、荷物を観ていてくれ」と言う。

はじめは、そのホームレスの男性が「めぐんでくれ」と言ってクリスティアンに声をかけた時には、無視をしたにも関わらず

クリスティアンにとって、ホームレスの男性は「自分の都合で勝手に使ってもいい人」なのである。



そして、心に切なさを残すのは、クリスティアンの「財布とスマホを奪った」という少年。

彼のスマホが「貧しい人たちが暮らすアパートにあるから」という理由で、上から目線で書いた広告をそのアパートにばらまき、「なぜ持っているか」の理由を聞かずに、少年を勝手に「泥棒」呼ばわりし、彼の家を訪ねてきた少年が階段から落ちても助けようともしない。



そのクリスティアンのホームレスの男性と、貧しい暮らしをする少年(移民)に対する態度は共通している。



彼は、自分が展示する作品の中で「平等・助け合い・思いやり」をうたっておきながら、明らかに彼の潜在意識の中には「階級意識」があって、「とても自然に」態度を表に出てしまっているのだ。

いくら表面的には「差別はいけない」と言い、その思いをアートで表現しようとしたって、潜在意識の中に眠る「差別意識」までは変えられないのだ。

彼の中にある「ザ・スクエア」は、とても小さく狭いものだったのだ。

このクリスティアンこそが、ヨーロッパの「格差社会」を表しているキャラクターなのだ。



彼らにとっては「差別のない領域」こそが「理想郷を表すアート」であり、それを「なんて素晴らしい」「差別があってはいけない」と言いながらも、現実には、はっきりとした「境界と階級格差」があるのだ。

所詮、アートはアートでしかなく、現実の世界はその理想とかけ離れているのだ。

なんとも、皮肉な話ではないか。



映画「ザ・スクエア 思いやりの聖域」


イマドキの宣伝は「炎上商法」「ノイズ・マーケティング」で


その美術館に展示する作品「ザ・スクエア」を宣伝するため、広告を代理店に依頼したら、アップされた動画がまた強烈だった。

「白人」で「金髪」で「ホームレス」の女の子を使っているところは、明らかに、ターゲットが「上流社会の人たち」を想定している



「モンキーマン」が登場した晩餐会でもわかる通り、この美術館を支えているのが、その「上流階級の人たち」であり、彼らの心に刺さる動画を作ってこそ、この美術館は潤うのだ。

そこで、彼らは「その領域の中では、そういうかわいそうな子もいなくなる」ことを示すために、「ちょっと刺激的な」動画を作ってアップしたのだが、これが見事に炎上する。



広告代理店が見ている先はあくまでも「ターゲットの人たち」であって、「貧しい人たち」や「非白人の人たち」に対する配慮が全くない

「思いやりの領域」を宣伝するはずが、全く思いやりのない広告ができてしまったのだ。

もう、これは笑うしかない。



しかし、「注目を集めることが仕事」の広告代理店にとっては、動画を作って炎上させるまでが彼らのパフォーマンスであり、どの新聞にも大きくスペースを割いて批判記事が出たことは、ある意味、大成功だったと言える。

その記事と同じだけの大きさの新聞広告を載せるには、相当な予算を割かなければならない。

たとえ、その動画が「最低な倫理観」を持ったものだったとしても、「このアートは、一体何だ」「観に行って批判してやる」と思った人がいれば、それで大成功なのである。




これこそが、日本でも良くあるタイプの「炎上商法」「ノイズ・マーケティング」なのであり、ここには現代社会の問題点に対するブラックユーモアがたっぷりと込められている



映画「ザ・スクエア 思いやりの聖域」


観客の潜在意識の中に眠る「差別意識」に問いかける


「意識高い系」の人たちにとって、現代社会を批判するような「現代アート」には、そこに込められた真意がたとえよくわかっていなくても「『いいね』と言ったらかっこいい」ような雰囲気がある

「バスキアとポロックが好きな私ってかっこいい」みたいな。



この映画ではそんなアートな人たちが、「ザ・スクエア」という作品を通して、「差別ない世の中」を訴える。



しかし、「差別しない領域」をアートにすること自体が差別であり、その異常さに誰も気づいていない

なぜなら、そこで働く彼らも裕福な暮らしをし、ホームレスや移民に対して壁をつくり、当たり前のように上から目線で話しかけ、彼らがけがをしても助けようともしない。



それでは、「芸術」とは一体なんのためにあるのか

自分を「意識高い系に見せる」ための自己満足なのではないか



クリスチャンは最後に少年に対する態度を変え「君を泥棒扱いしてしまい申し訳なかった。これは『富の再分配』だ」と言うのだが、「上から目線」の姿勢は何一つ変わっていない

どんなにつらい思いをして、人の痛みが分かったようでも、実際には姿勢が変わってなく、人々の心の中にある「ザ・スクエア」の大きさを変えることは無理なのではと思った。



しかし、私だって、映画を観て「差別はいけない」と分かっていても、実際に差別を全くしない行動をしているのかと聞かれれば「100%そうだ」と言う自信はない。

クリスティアンの言動は、クリスティアンだけのものではない。

きっと、誰の心の中にもクリスティアンはいるのだ。

この映画は、そんな人それぞれの心の奥底に眠る「差別意識」に「あなたは大丈夫ですか」と問いかける作品なのだ。



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